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北朝鮮による拉致問題を風化させるな!

「北朝鮮の拉致問題を風化させてはならない」。北朝鮮による拉致被害者の家族は、そう訴えて、拉致被害者の早期の奪還(だっかん)を目指し、活発に活動を続けている。この「風化」という言葉のもともとの意味は、「地表およびその近くの岩石が、空気・水などの物理的・化学的作用で次第にくずされること」であり、これを比喩的に、「心に刻まれたものが弱くなって行くこと」(広辞苑)を表す言葉として使っているものである。この拉致問題は、まさに風化させてはならない。

北朝鮮は、まったく分別(フンベツ)がない国である。これは、日本人をはじめ、韓国人やタイ人などの他国民を拉致や誘拐による手法で北朝鮮に連行し、未だに奴隷的使役に従事させ、拘禁状態に置いていることからも明らかである。これは、他国民の略奪であり、国家主権の重大な侵害である。北朝鮮は、今なお、この他国の主権を侵害した状態を継続し、これを改めようとしていないのである。したがって、国際社会の中にあっては、この国を他の国々とまさに分別(ブンベツ)して考えなくてはならない。外交や国際関係は、特定の国との間の互恵関係にみられるように相互主義が原則である。しかし、この国には、相互主義などという生半可な対応は通じない。北朝鮮問題を考える場合には、そのことをまず念頭に置いて、考えなければならない。

大勢の日本人が拉致や誘拐によって、北朝鮮に連行されたうえ、監禁状態にあるということは、北朝鮮は、大勢の日本人を日本という国家から略奪し、それを返還していないということである。これは、日本の領土を強引に占領して返還しないのとは、比較にならないほど重大な国家主権の侵害であり、現在もこの侵害が継続している状態である。これに対しては、日本政府は「拉致され、誘拐された人たちを全員返還せよ」、と強く要求し続けるべきである。こんな国家主権の侵害状態のままで、日本が北朝鮮に経済援助したり、国交回復したりすることは、許されることではない。外交のテクニックを論じる以前の問題である。

なぜ、日本は、この拉致問題を未解決のままで、長い年月を徒過させてきたのであろうか。これは、一部の官僚や国会議員に対する金品の贈与や利益供与で、外交が歪められてきた結果なのであろうか。かつて、自民党の副総裁までした大物代議士が、マンション1室の隠れ家に、北朝鮮の工作によって贈与されたと言われている金の延べ棒を秘匿保存していて、司直の手によって摘発されたことがあった。こんなことが、現在でも行われているとは考えたくない。

北朝鮮による拉致の問題は、日本の国防や安全保障に対する甘さが露呈した典型的事例である。また、長期間に渡り、大勢の拉致被害者を日本に帰還させられないことは、日本の外交下手の典型的事例であろう。

新聞やテレビ、その他のメディアは、この問題をもっと大々的に扱い、報道すべきである。

きょうは大晦日。あすは元旦である。新年こそは、一国の外交という舞台で、拉致被害者を全員帰還させ、北朝鮮との関係に、速やかできっちりとした結果を出してもらいたいものである。

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言葉の表裏・北朝鮮の民主主義

日本語の会話で「結構です」というと、普通は「断(ことわ)り」の意思表示である。これが、「たいへん結構です」や「結構ですネ」というと賞賛や同意の意思表示となる。ところで北朝鮮は、国名として朝鮮民主主義人民共和国を標榜(ひょうぼう)している。しかし、現実の同国は、民主主義どころか、恐怖政治を行い、国民の自由を奪い、まるで国全体が監獄であるかのような体制を敷いているように思える。「民主主義」という言葉は、国家体制の偽装表示なのであろうか。それとも、後ろに「人民共和国」が付くと非民主主義という裏の意味になるのであろうか。

北朝鮮は、自国民の通信の自由や移動の自由さえ認めていないのだ。21世紀にもなって、国民の自由な旅行も認めず、国民に対してラジオやテレビなどの自由な受信も認めない国家は異常である。北朝鮮は、なぜ、そこまで国民の自由を奪う必要があるのであろうか。また、なぜ、他国の国民を拉致して、その自由を奪い、拘束を続けているのであろうか。北朝鮮という国家の指導者たちは、何を目的として人びとを不自由な状態に置いているのか、理解に苦しむ。

5年前に北朝鮮から日本に帰還した拉致被害者である地村保志さん夫妻や蓮池薫さん夫妻、曽我ひとみさんなどの話から、北朝鮮による拉致の方法は、生やさしいものではなかったことが明らかになっている。日本でなんらの落ち度もなく平穏に生活をしている人たちを、いきなり殴ったり、袋をかぶせたりして、小船に乗せ、拉致しているのである。当時13歳であった横田めぐみさんも、おそらくそのように袋をかぶせられ、猿轡(さるぐつわ)を噛(かま)まされて拉致されたのであろう。北朝鮮に拉致された被害者の家族会などが、きのう(2007年12月10日)、東京で開いた国際会議で「拉致解決国際連合」を結成したという(新潟日報、または朝日新聞Webサイト←クリック可)。これは、北朝鮮によって拉致された各国の拉致被害者家族らが結束した成果である。

北朝鮮は、世界の中の最貧国であるという。この事実は、早稲田大学国際教養学部教授の重村智計(しげむら・としみつ)氏の著書『今の韓国・北朝鮮がわかる本』〔2007.11.10発行、三笠書房、「知的生きかた文庫」\533(税別)〕に詳しく論述されている。寒さが例年より厳しい今年の冬は、北朝鮮では、凍死者や餓死者がかなりの数で発生するであろう。暖房もなく、食べ物もない中で、寒さに凍え、餓死していく国民の悲惨さを痛ましく思う。北朝鮮の指導者たちは、この地獄のような窮状に対し、何らの反省も呵責(かしゃく)もなく、漫然と手を拱(こまね)いているのであろうか。同じ東アジアに生きる人間として、他国の国民でありながら、その絶望感と無念さを思うと、心痛が走る。北朝鮮は、核武装など完全に放棄し、開かれた国家として、国際社会の中に窮状を訴え、援助を求めていくべきであろう。東アジアの国で北朝鮮という国家の崩壊を望んでいる国などどこにもないのだ。

  すなわち、北朝鮮は、開かれた国家となる手始めに、拉致された人びとを早急にその母国に帰還させ、原状回復をはかり、謝罪しなければならない。そして、自国民の基本的人権を認め、それを国家として保障していかなければならない。そうしなければ、北朝鮮は、世界の中の最貧国という窮状と汚名から脱却することは不可能である。

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日本語辞書にない「替え玉」と「うめ春物」

  漢字圏からの日本語学習者Tさんから、「替え玉」という言葉の意味について尋ねられた。中華そば屋の壁の値段表にあった「貼り紙」の言葉だという。Tさんは、これについて辞書を調べてみたが、的確な意味の説明がないので、それを知りたいという。Tさんは、非母語話者ながら日本語教師志望であり、留学生として日本語を一生懸命に勉強している。日常の中で使われている日本語が、日本語の辞書に載っていないのに困惑し、納得できないようである。

  この「替え玉」につき、Akkii も、広辞苑で意味を調べてみた。するとそこには次のような意味が記載されていた。本物のように見せかけてその代りに用いる偽物。本人だと偽って実は他の人を使うこと。また、その人。「替え玉受験」。なるほど、値段表の脇の貼り紙にふさわしい意味は、そこには出ていないようである。なぜならば、の意味の偽物(にせもの)では、偽物を注文して食べることになるであろうから、精神衛生上も食品衛生上も大いに問題があり、そのようなことはしないだろうと考えられるからである。また、本人だと偽って、他の人を使う、という意味では、「他の人」とは中華そば屋に当てはめれば、料理人などの店のスタッフであろうが、偽(いつわ)って人を使うのにわざわざ貼り紙してまで、その偽りの事実を明示するという馬鹿げたことをするとは思えないからである。とすると、何か注文する料理に関係ある言葉でないか。そこで、その中華そば屋での追加注文の仕方をTさんに聞いてみた。ラーメンを注文し、麺を食べ終わったあとで、美味しいスープ(麺つゆ)がどんぶりに残っていた場合に、追加で麺だけを注文できるかどうかをである。すると、Tさんは、「そうです。麺を追加で注文できます」という。

   麺は、生麺(打ちたての柔らかい麺など)やゆで麺(ゆでて柔らかくなった麺)などの場合には、うどんや日本そば、ラーメンに限らず、麺の一まとめにした塊(かたまり)を玉(たま)といい、普通は、1人前として使われる分量を基準として玉としている。そして、これを1玉(ひとたま)、2玉(ふたたま)、3玉(さんたま、時には、みたま)、4玉(よんたま)、5玉(ごたま)・・・と数えるのだ。これが、乾麺の場合には、一まとめとして束(たば)ねてある場合は、それを束(たば)といい、1束(ひとたば)、2束(ふたたば)、3束(さんたば、時には、みたば)、4束(よんたば)、5束(ごたば)・・・と数える。中華そば屋では、通常、麺は、生麺やゆで麺を使っているので、玉にしてある。そこで、ここでは、客が食べているラーメンのどんぶりに残っているスープに追加で入れる麺を、「玉」を「替える」ものとして捉(とら)え、「替え玉」と表現しているのだ。既に食べてしまった「玉」は、既に胃袋に収まっていて、替えようがないのであるから、本来ならば、これは「追加玉」とか「追加麺」と表現すべきところであろう。しかしながら、この意味での「替え玉」は、中華そば屋の業界用語からラーメン愛食家の間の通用語になっているようである。

  日本語では、日常的に使われていながら、日本語辞書に載っていない言葉や意味が結構多い。最近気が付いた言葉では、「春夏物」と「秋冬物」がある。繊維業界やファッション業界の業界用語で、「早春物」を意味する「梅(うめ)春物」が日本語辞書にないのは、テクニカルタームとして理解できる。しかし、先の2語は、昔から日常的に使われ、広告やメディアにもよく登場する言葉でありながら、広辞苑にすら載っていないというのは、不思議な現象である。

  さて、日本語辞書にはない意味の中華そば屋の「替え玉」。食べる側にとっては、美味(おい)しいスープを残しておいて、安い料金で「替え玉」を追加注文し、もう一杯、美味しいラーメンを食べられるのは、嬉(うれ)しいことである。

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「一物」の読みは?

「お腹に一物、背中に荷物」というギャグがある。この読みは、「おなかにいちもつ、せなかににもつ」と読む。これは、「オナカニ」と「セナカニ」、および「イチモツ」と「ニモツ」で、それぞれ韻(イン)を踏むことと相俟って(アイマッテ)、「二物(ニモツ)」に掛けて「荷物(ニモツ)」と言うことで、その意味をさらに面白く(オモシロク)表現しているのだ。

この漢字の「物」を「モツ」という読み方は、漢字の音読みである呉音や漢音にそのルーツがあるのであろうか。漢和辞典(小学館・新選漢和辞典)に当たると、「ブツ」という読みは漢音であり、「モチ」という読みは呉音であるという。そして、「モツ」という読みは、慣用音であるという。日本に中国から伝来した漢字は、中国の長い歴史の中で漢字の読みが変わったのに影響を受け、日本でも音読みが変容したのだ。

さて、ここに、間違い易い読みの違いがあるので、注意的に紹介しておこう。農業の田畑(デンパタ)の果実(カジツ=ここでは、「くだもの」の意味ではなく、「物から生ずる収益」の意味。広辞苑)やその収穫前に田畑で生育しているものは「作物」であり、これは「サクモツ」と読む。しかし、同じ意味で使われる「農作物」は「ノウサクブツ」と読むのである。これを「ノウサクモツ」と読む人もいるが、間違いである。また、「作物」だけの場合の漢字2字を「サクブツ」と読むと「作ったもの。特に、芸術上の作品」(広辞苑)となり、「サクモツ」と読んだ場合と意味が違うので注意を要する。

次に、この「物」にもいろんな意味があるので、調べてみると面白い。「物」は、「物故(ブッコ)」といえば「死ぬ」こと、「物悲しい(モノガナシイ)」といえば「何となく(ナントナク)」、「物言い(モノイイ)」といえば「苦情」、そして、「物入り(モノイリ)」といえば「費用」を意味するなどである(小学館・新選漢和辞典)。

ところで、標題の「一物(イチモツ)」の意味について、広辞苑に当たると、「①一つの品物。②一つのたくらみ。③金銭の隠語。④男根の隠語。」とある。冒頭にある「お腹に一物、背中に荷物」と言った場合の「一物」は、②の「たくらみ」の意味であり、背中には「ニ物(ニモツ)」に掛けて「荷物(ニモツ)」と言っているのである。ここでは、背中には二つの「企み(タクラミ)」を背負っているという意味を込めている。このお腹と背中で、企みを合計三つも持っている人というのは、「風上(カザカミ)にも置けない」人、「気を許せない」人ということになるであろうか。

なお、「一物に秀でた人」と言った場合の「一物」は、「イチブツ」と読まないと意味が下ねた(シモネタ)の方へ分け入って(ワケイッテ)しまうように感じる。これを「イチモツ」と読んだのでは、前述の④の意味が彷彿(ホウフツ)とされ、何となく股ぐら(マタグラ)がむず痒く(ムズガユク)なるからである。つまり、標題の「一物」には「イチブツ」という読み方もある。そして、「天は二物(ニブツ)を与えず」と「腹に一物(イチモツ)」という成句がある。このように、日本語では同じ漢字でも、読み方の違いによって、その意味やニュアンスが大きく違ってしまうことがあるのだ。日本語は重厚である。

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