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ドツボにハマる就職活動

WEB検索で「日本語教師 就職活動」と入れて調べてみて驚いた。日本語教師養成講座の案内や広告が目白押しだからである。なぜ、これほどまでに日本語教師養成講座が増えたのであろうか。その原因は、日本のイミグレーション・ポリシーが変更されたことにある。日本語教師としての正職員の求人募集がほとんどなく、就職活動が困難であると嘆いている日本語教師志望者が多い中で、不思議な現象なのでそれを探ってみた。

それは、今から約4年前、出入国を管理する法務省が、日本に就学生ビザ (※留学生ビザではない。就学生ビザとは、日本語学習などを希望する外国人のために設けられたビザである)で入国できた外国人の就学生としての要件を厳格にして、その入国にブレーキをかける方針を採ったからである。

これは、当時、山形県酒田市にあった酒田短期大学の問題(※Web検索で「酒田短期大学」として調べてみることをお勧めする)で明らかになったように、留学生ビザや就学生ビザで入国した外国人の多くが、不法就労目的で入国していることが分かったことによる。酒田短期大学では、外国人学生のほとんどが、日本入国後に学校からいなくなってしまっていたのだ。ほとんどの外国人学生が関東圏に出て、不法就労していたのである。そのうえ、留学生ビザや就学生ビザで日本に入国した外国人による凶悪な犯罪―――特に記憶に鮮明なところでは、中国人元就学生グループによる博多の一家4人皆殺し事件 (※犯行は残忍なもので、殺された一家4人の死体を、証拠隠滅のため、博多港に重石を付けて沈めていた)―――や、中国人ピッキング・グループによる侵入窃盗事件などが多発し、政府の安易な出入国管理体制に世論の痛烈な批判を浴びることになった。

そこで、法務省は、その就学生ビザに厳格な取得要件を課すことになったのである。その結果、それまで就学生としてやってきていた外国人の日本語学習者の数が激減し、全国で倒産する日本語学校が相次いだ。日本語学校といっても、その多くは、文部科学省が所管する学校教育法上の学校ではなく、株式会社が開設していた学校である。これは、先般、倒産したNOVAと同様である。株式会社とは商法上の法人であり、利益追求を第一義とする。

現在、外国人のための日本語学校や日本語教師養成講座を開設している学校の多くが、この株式会社方式である。したがって、これらの会社の学校で学習していた受講生や働いていた先生方は、会社が倒産した後は、支払済みの入学金や学費や、不払いの労務報酬などで甚大な損害を被っても、その被害の救済は、ほぼ泣き寝入り状態である。

そして、外国人の日本語学習者が減って、多くの日本語学校が立ち行かなくなったのを穴埋めするために、各日本語学校が力を入れ始めたのが、日本語教師養成講座420時間コース(多くの日本語教師養成学校では、受講資格は4年生大学卒、または、それと同等以上の学力を有することと定めている。これは、日本語教師には、それだけの能力を要求されるからである)の開設というわけである。それが今、WEB検索でヒットする日本語教師養成講座が多いことの理由である。そこでは、外国人に日本語を教えたいという希望と期待に満ちた人たちに、日本語教師になれますよ、ということで募集しているのである。

420時間という時間は、大変な時間である。これを受講し続けて、その費用を負担し続けることには、莫大なエネルギーと時間、入学金や受講料や交通費などの膨大なお金がかかる。そして、これに入り込み、それにエネルギーと費用をかけると、そこから抜け出せないドツボにハマるのである。それは、せっかく日本語教師としての資格を取ったのだからということで、それを生かして就職しようと努力することで、なおさら深まる。

ところが、ただでさえ、外国からの就学生、すなわち外国人の日本語学習者が激減しているのに、日本語教師として働く場所がそう簡単にあるわけがない。多くの日本語学校は、外国人学習者が減ったために、代わりに日本人をターゲットにして、日本語教師養成講座を設け、学校を開設しているのである。ここには、日本語教師の求人募集に応募し、パートタイマーの日本語教師として、または、日雇い派遣労働者の日本語教師として、ワーキングプアを地で行くしかないことになる恐れがある。賢い人であれは、この構図は自ずとわかるであろう。

最後に、420時間の受講と費用を費用対効果で自ら考えて欲しい。多くの人にとって、日本語教師に費用をかけて情熱を傾けるより、PCの技能を習得することや、秘書検定や社会福祉関係の資格などを取ることにチャレンジするとか、または、TOEICや英検などにチャレンジして、それらにエネルギーを注いだほうが、就職活動により有用性があり、社会のために、より有益にその能力や情熱を役立てることができるのではないだろうか。ボランティアとしての日本語教師になろうという人なら、別であろうが・・・。

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女子中学生強姦事件と安全保障

米国軍の兵士により、かえって日本国民の安全保障を脅かす事件が起きている。沖縄駐留米軍の38歳の兵士が、14歳の女子中学生を強姦した事件もその一つである。この被害者の女子中学生が、友人に救助を求める携帯電話をかけ、スイッチを切らずにいたことから、携帯電話から、その友人にレイプに至る様子が実況中継されてしまった。女子中学生の悲鳴や泣き声、米兵の「シャーラップ!」という怒鳴り声などである (Cf.朝日新聞WEBサイト、ashi.com)。何とおぞましい出来事ではないか。

今、14歳の中学3年生であれば、高校入試を控えた大事な時期であろう。この被害者女性に、これ以上、被害が拡大しないように、周りで温かく大事に見守ってあげて欲しい。また、今後の進路では、手厚く処遇するなど、周りの配慮が大事であろう。その上、被害者のみならず、携帯で状況を聞かされた友人にも、心理面でのカウンセリングが必要であろう。PTSDも心配される。まことに悲惨な事件である。

米軍が沖縄に駐留しているのは、日本の安全保障のためではなかったのか。それがかえって、日本国民の安全や安心を脅かしているのである。これでは本末転倒ではないか。これまでも、数多くの米兵による凶悪事件が起きている。かつても、3人の米国兵が小学生の女児を拉致して輪姦した事件があった。

第二次世界大戦で日本が敗戦を認め、ポツダム宣言を受諾してから既に62年も経過している。また、戦後処理に一段落をつけたサンフランシスコ平和条約(講和条約)締結からも、既に56年も経過しているのである。戦後も引き続いて日本に駐留することになった米軍が、今後もこのまま日本に留まる必要があるのであろうか。現在、日本における米国軍駐留を再検討すべき時期にきているのではなかろうか。

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なぜ、日本が”JAPAN”と呼ばれているか?

 なぜ、「日本(ニホン、またはニッポン)」が、英語で “JAPAN”(ジャパン)と呼ばれているのだろうか。これには、諸説があるようであるが、なるほどと思わせる学説があるので、ここに紹介する。

 それによると、日本語の「元日」や「末日(マツジツ)」、「昨日」、「本日」の漢字「日」の読みである「ジツ」という音が、“JAPAN” の音の源の一部になったというのである。つまり、「日本」と “JAPAN” という発音には、何の脈絡も関係もないと思われがちであるが、実は関係があるというのだ。これは、学説の一つであるが、有力説でもある。我が国名の漢字表記である「日本 」の「日」という漢字を漢和辞典で調べてみると、その訓読みは「ヒ」であるが、音読みには二つあって、漢音の「ジツ」と呉音の「ニチ」がある。

 さて、マルコ・ポーロによって13世紀末頃、その著『東方見聞録』の中で「黄金の国、ジパング」と表現された日本であるが、当時の東南アジアや南アジアの一部では、「日本」という我が国名は、「ニッポン」ではなくて、「ジッポン」と呼ばれていたと言う。つまり、「日」を「ジツ」と読み、「本」を「ポン」と読んで、続けて「ジッポン」と呼ばれていたわけである。「本」が「ポン」であるのは、長い紐(ヒモ)状のものや棒状のもの、例えば川や電柱や鉛筆などを数えるときに「一本(イッポン)、二本(ニホン)、三本(サンボン)・・・」と数えることから、その読みは分かるであろう。なお、「ジパング」の発音の末尾の「ン」は、ラテン語系の語彙(ゴイ)の末尾にくる「ン」と「ング」の区別からは、「ング」に近かったのであろう。そこから「日本(ジッポン)」は、「ジッポング」と転じて、更に「ジパング」と転化した。しかし、厳密に言うと、「ジッポン」も、もしかしたら「ジャッポン」や「ザッポン」、「ザポン」などと発音されていたりして、今の「ジッポン」と書いたカタカナを読んだ場合の発音と違っていたのかも知れない。なぜならば、日本語の発音は、時代とともに変化してきているからである(後述の注※参照)。そして、「ジッポン」は、それより以前から、ヨーロッパ各地の言語に取り入れられていて、それぞれの言語で表記され、また、それぞれの言語表記に基づいて発音されるようになり、英語では、“JAPAN”(ジャパン)、ドイツ語では、“JAPAN”(ヤーパン)、フランス語では、“JAPON”(ジャポン)、そして、スペイン語では、“JAPON”(ハポン)などと表現されるようになったというわけである。

 昔の日本語がどのように発音されていたかは、テープ・レコーダーやDVDなどの録音や記録の装置がなかった当時であるから、はっきりとした記録はない。したがって、この学説は、仮説を立てての検証に基づいている。また、当時の日本語の発音は、推定に基づいている。

 それから、時代はすっと下がるが、昔の日本語の発音を推定させてくれる画期的な記録が日本語の歴史に登場したのだ。それは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の時代から300年以上も後の1603年に刊行された『日葡辞書(ニッポジショ)』である。「日葡(ニッポ)」とは、日本とポルトガルのことである。この辞書は、当時、キリスト教の布教のために日本にやって来ていたイエズス会の宣教師たちと日本人協力者たちによって編纂されたものである。今から400年以上も昔のことである。この辞書が画期的な記録であると言われるのは、表音文字であるアルファベットをベースとするポルトガル語により、日本語の読みが記載されていることから、そこから当時の日本語の発音が推定できるからである。

 この『日葡辞書』の記載から、この頃の我が国名「日本」の読みに、三通りあったことが分かっている。それは、「ニホン」〔注※「(ニフォン)」と発音されていた。また、この当時のハ行音の「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」は、文字としてそう書かれたものが(ファ、フィ、フ、フェ、フォ)と発音されていたことも、この「日葡辞書」から分かっている。〕と「ニッポン」と「ジッポン」である。すなわち、今から400年以上も前のこの頃も、我が国名である「日本」の読みに、現在では既に使われなくなっている「ジッポン」という発音が存在していたのである。

 「日本」と“JAPAN”。これらの読みには、一見、何らの脈絡や関係がないと思われがちであるが、“JAPAN”という発音のルーツを辿ると、実はそこには関係があるのだということには、現在もヨーロッパで使われている大西洋を中心とした世界地図の東の隅、まさにファー・イースト(極東)にある「日本」が、かつて西欧社会の中に認知されていった歴史を考えると、実に感慨深いものがある。

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パスポート・コントロールと安全保障

広辞苑に出てくる意味解釈を金科玉条としているわけではないが、一般的な意味の把握として、「安全保障」という語句を広辞苑で調べてみた。すると、そこには、「外部からの侵略に対して国家および国民の安全を保障すること。各国別の施策、友好国同士の同盟、国際機構による集団安全保障などがある」とあった。 

さて、パスポート・コントロール(出入国管理)にとって空港ゲートは、この安全保障上の重要な場所である。今、このゲートを運営する空港運営会社の株式を外国人(法人を含む。以下同じ)に開放し、外国資本を導入することの是非とともに、それを導入した場合の外国人が持つ株式比率の制限をどうするかが問題となっている。これは、国土交通省が、羽田空港や成田空港などの空港運営会社の株式取得に、外資3分の1未満とする外資規制の枠をはめる内容の空港整備法改正案を今国会に提出することを検討しているのに対し、この外資規制に反対する声高な主唱者である大田弘子経済財政担当相や渡辺喜美金融・行政改革担当相、岸田文雄沖縄・北方担当相の意見が、メディアに取り上げられたからである(Cf:朝日新聞WEBサイト、asahi.com )。 

しかし、この安全保障上の重大な問題が、閣内の意見一致も見ていない内からメディアに取り上げられるのは、一国のあるべき姿としてまことに恥ずかしい。また、この様相は、この国の安全保障がまことに危ぶまれる事態であることを現出させている。 

経済の論理や自由主義の論理などで、安全保障上の問題点を検討したり、検証したりすることは、議論の次元が違う。なぜならば、これらの論点は、土俵の違うところで初めから対立しているからである〔参考例として、ヤマハ発動機のヘリコプターが中国に輸出された事件(日刊スポーツWEBサイト)を挙げる〕。特にこういう問題の場合、女性の閣僚の語勢が強いようであるが、自らの発言が次元の違う議論をしているのだ、ということに女性の場合は、気がつかないことが多いのであろうか。安全保障は、経済学者が、経済の理論で論争する問題ではない。 

もとより、日本が各空港運営会社の株式を外国人にまで公開する必要があるのであろうか。日本国内だけでは資本が不足であるというのならともかくとして、日本国内で十分に資本を用立てできるのである。そうであれば、その株式を公開することによって、資本の論理により、安全保障上のパスポート・コントロール(出入国管理)のゲートを、外国人に運営される危険性、および、その運営に外国人の大きな関与を許すというような危険性は、制度を作る当初から排除しておくべきである。また、空港運営という人や物の安全輸送のための機関は、利益第一主義という一般的な株式会社の姿勢を直截的に当てはめた場合には、いろいろな不都合を来たすことも考えられる。したがって、この不都合も、制度を作る当初から回避しておくべきである。 

また、空港運営会社の経営権が株式の取得により外国人に握られた場合には、一国の出入国管理に用いる手立てや設備などの詳細までも、ディスクロージャーの原則により、外国人に開示する必要も出てくるであろう。空港設備については、一般公開に馴染まない極秘の機能が含まれる場合がある。これらについて、外国人の株主からディスクロージャーを要求された場合の都度、安全保障上の問題であるから例外であると言う理由で、開示するか否かの判断を空港運営会社の現場に委ねることが出来ないことは明白であろう。だとするならば、一国の安全保障上、空港運営会社の株式には、当初から外資排除または外資規制をかけておくことが、必要である。 

経済学者や経営学者は、会社を主導的な立場で経営した場合には、ほとんど失敗すると言われている。これは、一国の経営についても同じであろう。それは、経済学や経営学の理論と現実世界の齟齬(ソゴ)や乖離(カイリ)を認識できないことに原因があるのではなかろうか。 

安全保障上の問題では、安全保障の専門家の意見を尊重すべきである。 

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自律的マネーの循環と中央銀行

米国の経済は大丈夫か?

「自律」を広辞苑に当たって調べると、その第一義的意味として、「①自分で自分の行為を規制すること。外部からの制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。」とある。各国の中央銀行は、政治からある一定の独立性を保ち、自律的でなければならない。もし、そうでなければ、異常なインフレやスタグフレーション(注※)などで経済恐慌を招来させることになるであろう。〔注※:スタグフレーション(stagflation)とは、スタグネーション(stagnation:景気停滞)とインフレーション(inflation:通貨膨張)の合成語であり、不況下のインフレをいう。この単語を英語で聞いていると「スダグフレーション」と聞こえることがある。

ところで、現在のアメリカ経済は、マネーという血流の自律的循環が機能せずに、FRBという組織が他律的に人工心肺装置を使い、強制的に血液循環をはかるというような他律的循環型の経済システムに依存しているように思える。アメリカは、兌換紙幣から不換紙幣に移行してから、貨幣流通量(資金供給量)などの政策に矛盾を来たし、レーム・ダック状態に陥っているように思えるのだ。まさに危機的状況である。アメリカは、サブプライム問題でローンを弁済できない国民が多いからと言って、また、金融機関などが、この問題のあおりを受け、損失を拡大させているからと言って、このまま市中に大量に資金供給を続けていけば、体液(ドルの貨幣価値)が薄まり、回復不可能な極めて重篤な症状に立ち至るであろう。人工心肺装置で延命されている生体は、余命いくばくもない。そのままでは早晩、死に至る。 

ドルが単なる紙切れにならない内に、日本やEUは、しっかりと世界経済のルールを打ち立てておくべきである。世界の基軸通貨をドルから円貨やユーロにシフトさせていく必要があるであろう。なぜならば、ドルは今後、為替市場の中で乱高下し過ぎることが予想され、貿易決済通貨や、経済指標や貿易統計などの基準となる通貨には不向きになると考えられるからである。

世界経済は、各国が、自律的で健康な心肺機能をより活性化させる方策を講じ、これを維持発展させていく必要がある。アメリカには暫くの間、ICUの中で安静にしてもらい、酸素吸入や輸液などで体力の回復を図ることが必要である。他律的人工心肺装置の稼動に依存するのではなく、自律的心肺機能が作動するまで加療してもらうのである。すなわち、自立した血液の循環が自律的に動くまで回復を図ってもらう必要がある。これにより世界経済は、健全な自律的循環型として持続的に発展することが可能となるであろう。

日本における循環型貨幣経済は、江戸時代の貨幣鋳造における金や銀の含有量の維持の努力に見られるように、日本の歴史の中でいろいろな教訓を残しながら維持されてきた。この歴史と経験は、アメリカより日本のほうに豊かである。 

ここは、日本がしっかりとリーダーシップを発揮し、世界経済をいい方向に導くべきである。そして、ここでは、日本の中央銀行である日本銀行の存在がより重要となり、その活躍する場面が増えるであろう。 

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日本語教師と就職活動 (就活)

現在、世は空前の資格ブームであるという。日本語教育能力検定試験もそのブームの一環として、受験者にはその意識で受験する人が多いのであろう。しかし、この資格を得て、就職活動(就活)に役立てたいという人には、その困難さを認識していただきたい。

日本語が話せない外国人に日本語を教えることは、日本語が話せる日本の小中学生に日本語を教えることより、はるかに難しい。したがって、一般に、仕事として食える日本語教師になるより、小・中学校や高校で国語を教える先生になるほうが簡単で、就職できる確立が高いといえよう。日本語教育能力検定試験の合格という資格だけでは、日本語教師は務まらない。日本語が話せるからといって、日本語教師になれるものではないのだ。

日本語教師になるには、きちんとした教育機関で、それなりの先生方に、それなりの時間をかけて教えてもらうしかない。したがって、試験に合格したと言うだけでは、日本語教師は務まらない。実際に日本語教師となるには、日本語教師としての教育を受け、基礎的な知識を身に付けたうえで、教育実習を受け、教案作成や教材作成などの実技や的確な教授法をとり入れた教育実技をこなせなくてはならない。したがって、日本語教育能力検定試験の合格という資格を持っているからといって採用してくれるところは、ほとんどないのだ。ボランティアとしての日本語教師ならば、越谷にほんご勉強会でも、ご協力をお願いしている。しかし、ここでは費用が持出しになることはあっても、報酬はまったく出ない。

ある日本語教師求人募集の広告を見て驚いた。それは、オーストラリアで日本語教師として勤める内容の広告であった。よく見ると、日本語をオーストラリアで教えるが、給料をもらうのではなくて、かえって、費用を負担して日本語教師としての実技を行い、そこに満足感や充実感を得るという内容のものであった。これでは、就職としての採用ではない。この企画は、旅行会社が行っているものであった。旅費交通費、滞在宿泊費を負担して、日本語を教え、その費用を支払う。まことに恐れ入った。

日本語教師としての知識や実技を覚えるのには、日本語教師養成講座420時間(受講資格は4年生大学卒以上、または、それと同等以上の学力を有すること)などでの教育を受けるという方法もある。しかし、これも資格として実際に世に認知されているかといえば、そうでもない。これには、営利事業としての株式会社やカルチャーセンターや私立大学などが運営している日本教師養成講座がある。そして、これにより毎年輩出される日本語教師養成講座420時間の修了者は日本全国で相当の数に登る。また、教育機関によって、講師陣や講習内容の質及び量がまちまちであり、この講習420時間修了者が社会的に日本語教師の能力があると一般的に認知されるのには、無理がある。

よって、日本語教育能力検定試験や日本語教師養成講座420時間の修了者が、日本語教師を職業として、それで食べて行くには、相当の困難がある。新聞の求人欄や職安の求職サイトをご覧になっていただければわかるが、一般に日本語教師の正職員としての採用はほとんどない。たまにあるとすると夏休み中などの短期アルバイトか、パートタイマーである。これでは、ワーキングプアを地で行くことになるであろう。男性が日本語教師として食べていくには、相当の困難があると、受講生にアドバイスしている日本語教師養成講座の講師陣は良心的なほうである。

これからプロの日本語教師として食べていくには、きちんとした大学院で、専門の教育を受け、教育実技や教案作成などをしっかりと実習し、大学の研究職としての研鑚を積むぐらいに勉強しなければ無理であろう。毎年、大学院修了者の日本語教師志望者ですら、日本全国では相当数に登る。そして、労働市場では、既に日本語教師は供給過剰であり、その新人への求人は、ほとんどないのだ。

おとりやダーミーの日本語教師の求人募集はある。就職面接に行ったところ、経験がないとダメと言われ、日本語教師としての経験を積むなら海外でどうぞと言われるような、勧誘の手口である。経験者によると、多くの場合、高い旅費交通費と宿泊滞在費を支払わせされ、ワーキングビザではなく観光ビザで行く、いわば「日本語教師体験ツアー」であったりするという。また、ワーキングビザで行ったとしても、現地での報酬が安いため、往復の航空機代などで、費用が持ち出しになるという。

そして、むやみに求人に応募していくと、思わぬ陥穽(かんせい)に嵌(はま)る危険があるという。これは、ある大学院の女性教授が、女性の日本語教師志望者にアドバイスしていた内容である。女性の教授ともなると、いろいろな人生相談にも対応してくれているのだろう。経験豊かな人生の先達のアドバイスである。これが、日本語教師という職業を取り巻く現状であり、就職活動の困難さである。

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「暫定税率」と自律的循環型経済

「暫定」とは、広辞苑に当たると「本式に決定せず、しばらくそれと定めること。臨時の措置」とある。とすると、暫定税率とは、本式決定ではなく、臨時の措置ということになる。ところが、与党・自民党側は、今年3月末で期限が切れる、いわゆるガソリン税の暫定税率をそのまま維持する方針であるという。ガソリンは、この暫定税率により、1リットルあたり約25円の税金が長い年月に渡り上乗せされている。すなわち、企業や消費者は、この上乗せ分の税金を長い年月に渡り、払わされ続けているのだ。

最近の異常な原油高騰の影響で地方の企業や中小企業の中には、原材料高騰により、悲鳴をあげているところが多いと聞く。ここは、いわゆるガソリン税の暫定税率を一度外して、景気刺激策とすべきであろう。経済が失速して、不景気になってからでは遅い。

人体でも企業でも、疲労困憊のテイで、体力が衰弱し過ぎてからでは、回復措置を取ることが困難になる。これは、回復措置という手法の選択肢が少なくなってしまうからだ。まだ、体力が温存されているうちに、景気刺激策という体力増強策をとるべきであろう。これは、弱ってきた体内にビタミン剤やブドウ糖を投与してやるようなものである。この措置を取れるうちに、景気刺激策をとることは、経済という循環型のシステムを円滑に動かすためには、大変重要なことである。いわゆるガゾリン税の暫定税率廃止は、即効性のある景気刺激策となるであろう。

日本も、現在のアメリカのように経済の自律的循環が機能せずに、FRBという組織が人工心肺装置を使い、強制的に血液循環をはかるというような他律的循環型の経済システムに移行することを企図としているのなら、このような景気刺激策はいらない。しかし、日本やEU、その他、経済が健在な国家は、その健在な経済を維持するために外部との接触や干渉があるとしても、これを調和させながら、また、景気刺激策を施行しながら、自律的循環型の経済システムを維持させるべきであろう。ここは、中央銀行である日銀の出番が多いところである。

アメリカ型経済は、兌換紙幣から不換紙幣に移行してから、貨幣流通量(資金供給量)などの政策に矛盾を来たし、レーム・ダック状態に陥っているように思える。まさに危機的状況に思えるのだ。人工心肺装置で延命されている生体は、余命いくばくもない。そのままでは早晩、死に至る。ドルが単なる紙切れにならない内に、日本やEUは、しっかりと世界経済のルールを打ち立てておくべきである。すなわち、自律的で健康な心肺機能をより活性化させる方策を講じ、これを維持発展させるのである。アメリカには暫くの間、ICUの中で安静にしてもらい、酸素吸入や輸液などで体力の回復を図り、自律的心肺機能が作動するまで養生してもらうしかないであろう。また、これにより世界経済は、自律的循環型として持続的に発展することが可能となるであろう。日本における循環型貨幣経済は、江戸時代の貨幣鋳造における金や銀の含有量維持の努力に見られるように、日本の歴史の中でいろいろな教訓を残しながら維持されてきた。この歴史と経験は、アメリカより日本のほうに豊かである。

ところで、与党、自民党側は数日前まで、前述のいわゆるガソリン税の暫定税率を維持しようとして、国会の衆議院決議で多数による強行採決を目論んでいた。しかし、そんなことをしたら、ますます国民から非難を浴び、内閣支持率が低下することになるであろうことは、目に見えていた。その後、与党側が、この強行採決の方針を取り止めたことは、たいへんよかった。野党、民主党側も、今年末で切れる租税特別措置法に定める諸々の案件を全て反対という訳にはいかないのであるから、ここは、しっかりと委員会審議や国会審議を通じて、問題点を煮詰め、妥協点を見出す努力をすべきである。野党、民主党側も、政権担当能力がある政党であると国民に認識されるためには、あまりに不合理な反対姿勢ばかりは押し通せないからである。

与党側が、今後、もし仮に衆議院で強行採決を行い、この暫定税率の廃止という折角の経済刺激策のチャンスを潰した場合には、国民の多くが嫌悪感を抱くであろう。また、強行採決をしたいなら、現在の衆議院の構成に国民の付託があるかどうかを、衆議院選挙を通して確認してからすべきである。すなわち、国会を一度解散して、国民にその信を問うてから、国会で採決すべきである。日本国憲法に定める議会制民主主義の主旨をないがしろにしてはならない。

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