ドツボにハマる就職活動
WEB検索で「日本語教師 就職活動」と入れて調べてみて驚いた。日本語教師養成講座の案内や広告が目白押しだからである。なぜ、これほどまでに日本語教師養成講座が増えたのであろうか。その原因は、日本のイミグレーション・ポリシーが変更されたことにある。日本語教師としての正職員の求人募集がほとんどなく、就職活動が困難であると嘆いている日本語教師志望者が多い中で、不思議な現象なのでそれを探ってみた。
それは、今から約4年前、出入国を管理する法務省が、日本に就学生ビザ (※留学生ビザではない。就学生ビザとは、日本語学習などを希望する外国人のために設けられたビザである)で入国できた外国人の就学生としての要件を厳格にして、その入国にブレーキをかける方針を採ったからである。
これは、当時、山形県酒田市にあった酒田短期大学の問題(※Web検索で「酒田短期大学」として調べてみることをお勧めする)で明らかになったように、留学生ビザや就学生ビザで入国した外国人の多くが、不法就労目的で入国していることが分かったことによる。酒田短期大学では、外国人学生のほとんどが、日本入国後に学校からいなくなってしまっていたのだ。ほとんどの外国人学生が関東圏に出て、不法就労していたのである。そのうえ、留学生ビザや就学生ビザで日本に入国した外国人による凶悪な犯罪―――特に記憶に鮮明なところでは、中国人元就学生グループによる博多の一家4人皆殺し事件 (※犯行は残忍なもので、殺された一家4人の死体を、証拠隠滅のため、博多港に重石を付けて沈めていた)―――や、中国人ピッキング・グループによる侵入窃盗事件などが多発し、政府の安易な出入国管理体制に世論の痛烈な批判を浴びることになった。
そこで、法務省は、その就学生ビザに厳格な取得要件を課すことになったのである。その結果、それまで就学生としてやってきていた外国人の日本語学習者の数が激減し、全国で倒産する日本語学校が相次いだ。日本語学校といっても、その多くは、文部科学省が所管する学校教育法上の学校ではなく、株式会社が開設していた学校である。これは、先般、倒産したNOVAと同様である。株式会社とは商法上の法人であり、利益追求を第一義とする。
現在、外国人のための日本語学校や日本語教師養成講座を開設している学校の多くが、この株式会社方式である。したがって、これらの会社の学校で学習していた受講生や働いていた先生方は、会社が倒産した後は、支払済みの入学金や学費や、不払いの労務報酬などで甚大な損害を被っても、その被害の救済は、ほぼ泣き寝入り状態である。
そして、外国人の日本語学習者が減って、多くの日本語学校が立ち行かなくなったのを穴埋めするために、各日本語学校が力を入れ始めたのが、日本語教師養成講座420時間コース(多くの日本語教師養成学校では、受講資格は4年生大学卒、または、それと同等以上の学力を有することと定めている。これは、日本語教師には、それだけの能力を要求されるからである)の開設というわけである。それが今、WEB検索でヒットする日本語教師養成講座が多いことの理由である。そこでは、外国人に日本語を教えたいという希望と期待に満ちた人たちに、日本語教師になれますよ、ということで募集しているのである。
420時間という時間は、大変な時間である。これを受講し続けて、その費用を負担し続けることには、莫大なエネルギーと時間、入学金や受講料や交通費などの膨大なお金がかかる。そして、これに入り込み、それにエネルギーと費用をかけると、そこから抜け出せないドツボにハマるのである。それは、せっかく日本語教師としての資格を取ったのだからということで、それを生かして就職しようと努力することで、なおさら深まる。
ところが、ただでさえ、外国からの就学生、すなわち外国人の日本語学習者が激減しているのに、日本語教師として働く場所がそう簡単にあるわけがない。多くの日本語学校は、外国人学習者が減ったために、代わりに日本人をターゲットにして、日本語教師養成講座を設け、学校を開設しているのである。ここには、日本語教師の求人募集に応募し、パートタイマーの日本語教師として、または、日雇い派遣労働者の日本語教師として、ワーキングプアを地で行くしかないことになる恐れがある。賢い人であれは、この構図は自ずとわかるであろう。
最後に、420時間の受講と費用を費用対効果で自ら考えて欲しい。多くの人にとって、日本語教師に費用をかけて情熱を傾けるより、PCの技能を習得することや、秘書検定や社会福祉関係の資格などを取ることにチャレンジするとか、または、TOEICや英検などにチャレンジして、それらにエネルギーを注いだほうが、就職活動により有用性があり、社会のために、より有益にその能力や情熱を役立てることができるのではないだろうか。ボランティアとしての日本語教師になろうという人なら、別であろうが・・・。
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