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日本ではパソコントラブルが多いのでは!?

この夏、あるパソコンクラブの暑気払いの会で、周りにいるメンバーとの会話が弾んだ。アルコールが適度に入ったせいもあるかも知れない。参加者に、最近のパソコン(PC)事情について、ざっくばらんに尋ねてみた。「最近、PCのトラブルが多いということで、Eメールすら止めてしまった人が多いようなのですが、どうですか?」とである。

これは、ある大学の同窓会で、参加者から事前に聴取していた内容である。すると、パソコンクラブのメンバーからも、「そうよ、そうよ」の合唱が起きたのである。これは、どういうことか!? Akkiiも、この現象はかねがね心配していたことであるが、PCをいつも使っているメンバーですら、PCのフリーズやデータの破壊に遭遇し、困っている現状が分かったのである。

この困っているというメンバーには、女性が多かったが、男性もいた。いつもは、必要に迫られて、ワードやエクセルを使っている人たちである。フリーズしたPCへの対応の仕方が分からないようである。職場ではPCの保守管理が徹底しているので安心であるが、自宅ではPCが壊れてしまったら困るので、あまり他を触らないようにしているという。

よく聴いてみると、それはWEB検索や無料動画サイトへのアクセスはしないようにしている、ということであった。その上、ユーチューブの映像を見るのに、本当に無料なのかと聴いてくる人がいたのには驚きであった。

日本のWEBサイトは、クッキーなどで簡単に他人のPCを除き見る営業サイトが多すぎるのではないか。これが、PCがフリーズしたりするトラブルが多い原因になっているように思う。営業戦略には効果的なWEBサイトではあろうが、これは制限していく必要があるのではないだろうか。まして、他人のPCに潜り込むなどの行為は、たとえ事前に承認する文書を閲覧させて、応諾を得ていたとしても、その後、常時承諾を得ていると解釈させて、行わせるべきではない。

つまり、他人のPCを覗き込んだり、データを送り込んだりする行為は、極力制限していくべきではないかと思うのである。そうでなければ、日本人が利用するPCは、その数を大きく減少させてしまうであろう。

YouTubeを利用している世界中の利用者の、動画やコメントの投稿行動をみると、非常に積極的である。これは、PCトラブルなどの心配は無用の世界の、PC活用の実態でないかと思う。年少者から大人まで、自由闊達にPCを利用して、インターネット(IT)に接続している実態が分かる。これに比べると、日本のIT環境は、寒々としているように思うのだ。

YouTubeの動画再生画面で、下欄に出てくる投稿者のハンドルネームをクリックすると、投稿者のプロフィールが分かる。国名や年齢、性別、趣味やお気に入りの動画などである。ここには、PCトラブルなどは無縁の存在であるかのようである。ここには、安定したPC環境があるようだ。

日本では、従来、キーボードを利用する欧米のようなタイプライターの文化がなかった。ここにきて、PCではこのタイプライターのキー配列によるキーボードを使っているのである。したがって、欧米のPC利用のイージーさから見れば、PC利用のハンディーとなっているのは分かる。しかし、YouTubeのアクティブな利用者は、東南アジア各国にもいるのだ。

これらを総合的に見てみると、日本にも、もっと安定したPC環境が必要であると思うのだ。そして、安心できるソフトを普及させ、誰でもが、安心して、安全に利用できる活発なWEB環境ないしはIT環境を設定していくべきであろう。これには、また、日本独自のワープロソフトとOSの開発も望まれる。

この日本でPCトラブルが多発している実態を放置すれば、日本では、PCは衰退の一途をたどり、代わりに携帯電話やゲーム機類似のPC代替品が普及することになるであろう。このようなPC代替品ではITとしての機能は希薄であり、脆弱である。そして、PCの衰退はITの衰退を意味する。日本のIT環境が、寒々としているように思うのは、Akkiiばかりではないはずである。

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音楽映像としてのシャキーラの芸術性

シャキーラ(Shakira)の歌と踊りは、南米の軽快なポップスのリズムに乗り、聴く者の心を弾ませる。彼女は、南米コロンビア生まれで、スペイン語を母語としているが、英語の歌も歌う。その代表的な歌曲名は”Whenever,Wherever”である。

ところが、この歌と踊りは、日本では、猥褻(わいせつ)であるという批判でもあるのであろうか。現在、無料動画サイトのユーチューブ(YouTube)の画面の上部に「このビデオは、あなたの国では利用できません」という意味の英文表示が出て、この歌の再生回数2千600万回を超える英語バージョンのものが再生不可となっているのだ。

しかし、この”Whenever,Wherever”のスペイン語バージョンが再生回数300万回以上のものでUPされているのと、この歌曲を風刺したパロディーが1千600万回以上の再生回数でUPされているのを考えると、権衡を失すると思うのだが、不思議な対応である。これはビデオ会社の方針なのであろうか。

シャキーラの歌と踊りは、グローバルな観点からみると、無料動画サイトのユーチューブで見られるフランス・パリのムーランルージュのショーや、ブラジル・リオのカーニバルの映像と比べても、決して猥褻ではない。それは、優れた芸術である。

次に、シャキーラの”Whenever,Wherever”のURLとして、次の2つを例示する。なお、下段の方は、現在、再生不可になっている再生回数2千600万回超の同名のコンテンツのURLである。

http://jp.youtube.com/watch?v=7z723RavRpw

http://jp.youtube.com/watch?v=F-3brRCRsA8 

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登山と素晴らしい景観の記憶

 山を歩いていると、感激もひとしおな素晴らしい景観に恵まれることがある。そして、その想い出は、感激が大きければ大きいほど、記憶の中にしっかりと留め置かれる。

 北アルプスの蝶ヶ岳の山稜から見た槍~穂高連峰の山稜は、紺碧の空にくっきりと輪郭を描き、雄大であった。越えてきた常念岳は、もちろん大きく見える。朝日連峰の以東岳の山頂では、今歩いて来た稜線上の道を振り返って見ながら、そこに辿り着くまでの苦労の多かった道程を思いの中で反芻し、こんなにも遠くまで歩いてきたのかと感慨に浸った。そんな遠景に、前泊した大朝日小屋直上の大朝日岳が見えていた。そして、その日の宿泊先である大鳥池の畔のタキタロウ山荘は、重い荷物を背負った身にはまだまだ先であった。

八ヶ岳の硫黄岳山荘裏の稜線から見た夕暮れの雲海は、まるで真綿の絨毯を敷き詰めたようで、そのまま稜線伝いに歩いて行けそうな景観だった。このまま歩いて行きたい、と一瞬不穏な誘惑に駆られるほどだった。翌日は、赤岳を越えて権現岳~編笠山と縦走し、観音平へ下山する長丁場であった。山小屋の出発は、まさに未明である。また、苗場山への小赤沢側からの登山道で展望した秋山郷は、錦繍の絨毯を敷き詰めたような紅葉に彩られ、燃えているようだった。そして、その稜線では、手を振った自分が、円環の光背の中で手を振っているように見えるブロッケン現象にも出会い、非常に不思議な感慨に浸った。

 北海道の斜里岳登山では、旧道の沢コースを辿り、渓流シューズ(滑り止めとして靴底にフェルトが貼り付けられている靴)を履いたままで登った山頂からの360度のパノラマの中に、いつもは霧で隠れていることが多い摩周湖の湖面が、遠く小さく見えていた。霧の摩周湖が霧に覆われることもなく見える、誰かが感嘆して叫んだ。また、会津駒ヶ岳の裏手の中門岳では、夕暮れ迫る中、木立のシルエットと湖水の見事な絵のような景色に巡り合えた。そして、湖畔では寂しげにコオロギが鳴いていた。

 このように山歩きの素晴らしい景観や音の記憶は、その部分だけが強調され、シンボリックに脳裏に焼きついている。前述した山行の記憶は、いずれも深田久弥が挙げた日本百名山の登頂についてのものである。(因みに、日本百名山は、現在、新潮社から新潮文庫として出版されており、税込みで740円である。)この沢山ある記憶の中から、特筆すべきと思える想い出を、少しずつ繙(ひもと)いて、記録と照らし合わせながら、今後、このブログにUPしていきたいと思う。

 でも、できるかなァー。止めたほうがいいみたい。

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日本語教師は、低収入で非常勤が多い!

    日本語教師という職業を取り巻く現状は厳しい。きのう(8月24日)、朝日新聞東京本社・朝刊第13版第3面の中央部分に『低収入・非常勤「生活できぬ」』の見出しで、日本語教師の現状を解説する記事が載った。あるアンケートの結果、「常勤者だと平均月給は21万1千円」とある。また、『自由回答には「家族は養えない」「国のバックアップが必要」といった訴えが並ぶ』、とある。うなずける内容だ。

なぜ、こうも日本語教師の世上の評価が低いのであろうか。それは、日本語教師が労働市場では供給過剰状態のうえに、そこには、日本語教師を養成する機関が日本語教師を雇う機関を兼ねている、という構図があるからである。その機関は、多くの場合、文部科学省が所掌する学校教育法上の学校ではなく、利益追求を第一義と考える株式会社である。英会話学校で有名だったNOVAは倒産したが、そのNOVAも株式会社であった。

外国人のための日本語学校を開設している株式会社が、日本語教師の養成講座を開設し、そこからも利益を得ようとしている。したがって、そこに日本語教師として雇われても、自分の利益(給料)を高額で得ることは、困難であろう。まして、日本語教師から教えられる側の外国人は、日本よりも給与水準が低い地域から来ている人たちが多いのである。そんなに高額の授業料は支払えない人たちが多いのだ。

これから日本語教師になろうとする人は、ここは、じっくりと考える必要がある。

ワーキング・プアを押してまで、日本語教師になりたいかどうか、また、それを押して続けられるかどうか、をである。

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山は素晴らしきもの。だが、侮れない危険が潜んでいる!

 ことしは、正月早々から山の事故で山仲間2人を失った。正月のニュースを騒がせた槍平の雪崩事故で、である。本来、雪崩が襲うことは考えられない場所での雪崩による事故であった。そして、この夏も、我が山岳会メンバーではないが、穂高岳や白馬岳などで物故者が相次いだ。山には、人間が日常生活する場とは違い、予期せぬ危険が潜んでいる。山岳遭難が発生しやすい所以(ゆえん)である。

今週も、白馬大雪渓の土砂崩落により、尊い命が失われた。白馬大雪渓は、毎年大勢の登山者がここを通って白馬岳に登り、ここを通って登山口の猿倉に下山する。その大勢の中から、毎年、何人かが事故に遭い、犠牲者が出ているのだ。今回、山岳ガイドとともに犠牲になった登山者も、深田久弥が選定した日本百名山の完全登破でも目指していたのだろうか。

夏でも雪渓が残る山域では、落石や土砂崩落、雪崩が起きやすい。飯豊連峰(いいでれんぽう)の梅花皮小屋(かいらぎごや)下部の石転沢(いしころびざわ)、北アルプスの白馬大雪渓をはじめ、針ノ木大雪渓、剣沢や涸沢(からさわ)の雪渓などだ。いずれも、夏でも沢を詰めるのにはアイゼンが必要な場合が多い。

雪渓を通過するのには、途中にクレバスができていたり、積雪の下が空洞になったりして、スノーブリッジ状態となっているなど、危険が多い。雪渓を一般登山道とするには、積雪の状況を含め、降雨や気温などの状況を総合的に加えた、落石や土砂崩落、雪崩などの危険性の判断基準を作り、その特定の地域の危険性を表示するシステムを作るべきであろう。

ただし、そもそも山登りとは、日常とは違う危険性を伴うスポーツである。この危険を認識しながら登山しようとする者を妨げてはならないだろう。これは、岩登り、沢登り、積雪期登山に準じる危険性を伴う登山であることを認識し、それに対する十分な知識と経験があり、装備を整えるものには、門戸を開いておく必要がある、ということである。

余談だが、Akkiiも、北は北海道の離島、利尻島に聳える利尻富士や、知床半島の羅臼岳から、南は鹿児島県の離島、屋久島にある宮之浦岳に至るまで、深田久弥が選定した日本百名山の100座を山仲間と共に完登した。もちろん、その中には、日本の屋根といわれる北アルプスや中央アルプス、南アルプスの山々が含まれている。そして、この日本百名山には、さすがに名山が多い。しかし、中には、何でこんな山が、と思える山もあった。荒島岳と恵那山がその代表格に挙げられるであろう。しかし、深田久弥が、登山が今ほど盛んでなかった時代に歩いた、沢山の山から選定した100座である。そこには、それなりの選択基準があるようである。

山は人を誘う。これは、山に取り付かれた者だけが抱く感慨である。山歩きにも目的を持つことは、そのモチベーションを高め、いいことである。人によっては、日本百名山や二百名山、関東百名山などを踏破するという目的を持つこともあるであろう。また、オールラウンドに、また、いろいろなバリエーション・ルートで山を攻略する目的を持つこともあるであろう。何で苦労しながら、また、重いものを背負いながら、山に登るのだろう、と人は思うかもしれない。しかし、登山愛好家にとっては、山は、その労をもいとわない素晴らしきものなのである。だが、そこには、侮(あなど)れない危険が潜んでいる場合があることを、肝に銘ずる必要があるのだ。

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無料動画で再生回数2千600万回超のコンテンツが復活!

  けさ、無料動画サイトYouTubeで "shakira whenever wherever"と入れて検索すると、何と、この数日の間、再生不可となり、コンテンツ一覧にも表示されなくなっていた南米コロンビアの女性シンガーソングライターでダンサーの、シャキーラの人気№1のコンテンツ、”Whenenver,Wherever”が復活しているではないか。再生回数は既に2千600万回を超え、26,017,376回となっていた。

数日前、このコンテンツは、YouTube上のシャキーラのコンテンツ一覧に表示されなくなり、Akkiiが登録していた「お気に入り」のアイテム上でクリックしても、再生不可となっていた。当初は、クリックすると”This video is not available in your country.”と画面上部に表示され出した。そしてその後、この「あなたの国では、このビデオは利用できません」という意味の英文の表示すら出なくなっていたのだ。理由は不明である。

因みに、この復活した再生回数2千600万回超の無料動画のURLは次のとおりである。ただし、何らかの事情で、このコンテンツは、再度、再生不可になることも考えられる。その場合には、末尾に掲げる同名のコンテンツのURLを利用することをお勧めする。

http://jp.youtube.com/watch?v=F-3brRCRsA8

シャキーラは、WEB上の無料百科事典である”Wikipedia”には、コロンビアのラテンポップシンガーソングライターと表示されており、また、職業は、歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、慈善活動家、ダンサー、俳優、と表示されている。

  この多才なシャキーラの、多彩な歌と踊りを動画を見ながら鑑賞していると、音だけ聴いて音楽鑑賞しているのと比べ、五感の満足度が違うことが実感される。一度、お試しあれ。

  http://jp.youtube.com/watch?v=POSxxA3l75Q

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北京オリンピックでの日本の無口さ!?

北京オリンピックを見ていると、いろいろな競技で、ジャッジの不正とも思われる、日本に不利な判定が数多く出ているように思える。これは、日本を応援するAkkiiの気持ちがそう思わせているのであろうか。否、同じような意見を持つ日本人が多いのではないだろうか。

テレビの北京オリンピックの放映では、アナウンサーや解説者は、抑え気味に、あまりジャッジに対する不平不満を言わないようにしているようである。しかし、あまりにも目に余るシーンが多々あるように感じるのだ。

これは、日本に対する世界からの評価や批判が背景にあるのであろうか。日本人は、世界の人たちに対し、自分の考えや意思、感情を表現することが下手で、抗議したい事柄の理由付けすら、うまく表現できていないのであろうか。あまりに見え見えの不公正なジャッジには、日本は理由を付して抗議し、反論すべきである。

英語を始め、世界の大多数の言語でのコミュニケーションでは、理由付けが大事である。相手の話している言葉の意味を理解できただけでは、コミュニケーションは成り立たない。そこには、自分の考えや意思、感情を上手く表現できて、なぜそう考えるのか、また、なぜそう思うのかを、必要に応じて表現できなければならない。

そして、言語は、聞いて理解できるだけでは、その言語を使って、会話としての発話をすることができないのだ。これはAkkii が、ブラジルから来ているポルトガル語を母語とする人たちに日本語を教えていて、特に感じたことである。彼らには、4、5年も日本に住んで、仕事をしていながら、日本語の簡単な会話もできない人が多かったからである。日常の中では、仲間内の言語であるポルトガル語で大体の用が済んでしまう。そして、日本人が話している日本語は、大体理解できるのである。

しかし、彼らが、一歩日本人の中に入ると、道を聞きたくても道も聞けない。スーパーで物を買いたくても、その物がどこにあるのかも聞き出せない。そのうえ、タクシーに乗っても行き先や降りる場所も、日本人に通じるように表現できないのである。したがって、最寄りの駅からタクシーに乗って自宅に帰ることすら、尻込みしている状態であった。

つまり、このことが物語るのは、会話とは相手の話を聞いて理解できるだけでは、始まらないということである。すなわち、言語を習得するには、発話の練習も大事であるということなのだ。

今、大学入試では英語のヒヤリングが重視されている。しかし、同様に、会話での発話力、表現力も重視する必要がある。つまり、スピーキング、特に対話(ダイアローグ)を重要視しなければならないということである。

そうでなければ、世界中からいろいろな注文を押し付けられ、無理難題を吹きかけられながら、その意味は分かるが、反論できない日本人が量産されてしまう懸念があるからである。

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中国・毒ギョーザ事件隠蔽は憲法違反の疑い!?

行政には法令適合性が求められる。憲法を遵守しなければならないのは、言を俟たない。そして、日本国憲法第66条には、内閣の行政事務は閣議による合議制によって行われることが規定されている。閣議は、内閣総理大臣と全国務大臣により構成され、その議決は全会一致が原則である。また、大臣の皆さんの多忙さを考え、閣議は、必ずしも一同が集まって会議を開く必要はなく、持ち回り閣議、すなわち書面回覧により閣議とすることもできる。なお、内閣総理大臣の意向にそぐわない国務大臣や意見が合わない国務大臣は、内閣総理大臣が罷免することができる。内閣総理大臣は、この人事権によって意見が統一された内閣を作ることができるのである。

ところで、今、騒ぎが大きくなっている中国国内での毒ギョーザ食中毒事件は、閣議に報告されたのであろうか。また、そこでその取り扱いが協議されたのであろうか。高村外務大臣によると、中国側からの公表しないでくれとの要請で、「首相官邸、警察庁、外務省に限定して情報を共有した」(朝日新聞東京本社8月8日朝刊第13版第1面)という。

これが事実とすると、中国国内での毒ギョーザ食中毒事件は、閣議にすら報告されていなかったようである。新任の野田聖子消費者行政担当大臣(食品安全担当兼務)にも知らされていなかった。つまり、政権を担当し、協議し合う内閣の各大臣にすら、この事実を秘匿していたということである。これでは、ナチス・ヒットラーの独裁政権と同じになってしまう。民主主義に基づく政権政府とは言えないのではないか。

もし、閣議にもかけずに、一部の人間だけでこの国民の生命、身体の安全に関わる外国政府からの情報を隠蔽していたとしたら、これは日本国憲法第66条違反の疑いがある。

この冬に日本で発生したこの毒ギョーザによる食中毒の被害者には、医療機関への救急搬送で胃洗浄などの救命処置を受け、一命を取り留めた人もいる。また、その他、重篤な症状で治療処置を受けた人も多数いる。この処置が遅れていたら、死人が出ていたことであろう。さらに、医療機関への救急搬送を受けないまでも、毒入り餃子(ギョーザ)を食べて体調不良を訴える被害者が大勢出ているのだ。ことは重大である。

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日本の安全保障と毒入り餃子事件

三公社五現業といわれた時代の公社の一つ、日本専売公社は、現在、民営化され、また、改編されてJT、つまり日本たばこ産業となっている。このJT傘下のJTフーズが中国の食品製造会社、天洋食品から輸入した餃子に致死量を超える毒物が混入していたため、日本各地でこれを食べた人たちに食中毒が発生したのは、この冬のことであった。

この食中毒事件について、日本の警察が科学的捜査をした結果、この毒物は日本では製造されておらず、また、外装の包装フィルムは毒物を透過しないため、この毒物は、餃子製造過程で包装される前に餃子に混入されたものであることが証明された。しかし、この結果が中国側に伝達されると、中国側から、日本の警察の科学的分析を否定する、一方的で理不尽な回答があった。つまり、中国国内では、食品製造過程の管理が徹底しているため、毒物が混入されることはない。外装フィルムは毒物を透過する場合がある。日本の流通過程で毒物が混入したものではないか、というものであった。そして、日本の警察からの合同捜査の要請と日中共同での科学的分析結果のすり合わせの申し出を中国側は拒否していた。

しかし、今、中国製餃子への毒の混入は、やはり中国国内での犯行である疑いが濃厚になった。これは、製造会社の天洋食品が、日本への輸出がストップしたため、やむなく回収した餃子が、どういう訳か中国国内で流通し、これを食べた中国人の間で食中毒が多数発症したことで分かった。この中国国内で食中毒があった事実と、毒物が中国国内で混入された疑いが濃厚である事実は、中国当局から日本側へ1か月以上前に伝えられていたという。

  この事実を、日本政府は、国民に知らせないままで1か月以上も秘匿していた。なぜだろう。これは、重大問題だ。なぜならば、中国製毒入り餃子事件は、日本へ向けられた中国国内からの無差別毒殺テロであるからだ。天洋食品が製造していた餃子は、日本語が表示されたパッケージに入れられ、日本に輸出されるものであることは、餃子を製造している従業員には知悉されていた。日本で食べられる餃子であることが分かっていた上で、毒を混入させたのである。日本では、誰の口に入るか分からない。日本人を狙った無差別毒殺テロである。

  これは、食の安全の問題というより、無差別テロの問題である。犯罪捜査という以前に、無差別毒殺テロの疑い、蓋然性は、国民に速やかに知らせ、再三、注意を喚起すべき事案であろう。中国側も、当初の見解を改め、中国国内での毒物の混入の疑いを認めているのである。

こんな重大な事実を、なぜ、日本政府は国民に知らせないままでいたのであろうか。この事実は、読売新聞により、スッパ抜かれたという。

日本の国家としての安全保障は、その時々のゴマすり外交や揉み手外交の方針で歪められてしまうのであろうか。外交が必要なのも、国民、そして国家を守るためではないか。今の自公政権は、あまりにも国民をバカにしていないか。この国の安全保障は、まことに危ぶまれる事態である。きちんとした政府が望まれる所以(ゆえん)である。

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