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数が多いのを奇貨として衆議院解散の国民の要望を気化させるべきではない!

 日本語のように表意文字となっている言語には、同音異義語が多い。標題のように「奇貨」と「気化」がそうである。 また、「信認」と「信任」もそうである。広辞苑によると、「信認」とは、「信用して承認すること」とあり、「信任」とは、「信じて仕事を任せること」であるという。

  ところで、今の内閣は、国民の「信認」の得ることまでは、無理としても、「信任」を得ているのだろうか。これは、「否」と言うほかないであろう。なぜならば、今の内閣は、約3年前の郵政選挙と言われた小泉政権の郵政民営化路線を問う衆議院選挙で選ばれた議員により、国会が構成される中で登場した内閣であるからである。その郵政選挙後、安倍、福田と約1年間隔で内閣総理大臣が2人も政権投げ出しの体で辞任している。その後に登場したのが、今の麻生首相であり、その首相のもとの現在の麻生内閣である。

 今、この内閣が、国民の信任を得ることもなく、数の力で強引な国会運営を行い、将来に禍根を残すような政策を次々に打ち出すことに、心ある国民は、心配しているのでないだろうか。今の経済、金融危機の原因となった詐欺まがいの金融工学的理論と同根の理論で、政策を立案すべきではない。

 このところの政策提言は、異常である。背景にどんな政策提言集団がついているのであろうか。アメリカで破綻が相次いだ金融機関などと同類の利益集団や、また、この息のかかった利益集団が擁するシンクタンクや、財界寄りのシンクタンクからの政策提言の強い影響を受け、奇異をてらうことで、目立つ政策を遂行しようとしているなら、大問題である。

 各利益集団が擁するシンクタンクの多くは、「我田引水」を文字どおりに目論む。政治には、ロビー活動による影響を受けるのが、避けられないとしても、もっと大局的見地に立った、国民目線の政治を行うべきであろう。経済政策で国民にばら撒きのアメをしゃぶらせておいて、裏では、金融機関等の不良債権や破綻同然の会社の株式を、何らのモラルハザードを追求することなく、莫大な国費を投じて買い取ることなどを画策しているのではないか、と懸念される。将来の国民に大きな負担を強いることには、慎重の上にも慎重であるべきである。

 政治は、国民の安心、安全を確保する責務を持つ。そして、国民のだれもが最低限の生活ができるようにする責任がある。ここでは、政治の持つ富の再配分の機能が重要である。
 
 今、直ぐにでも必要な政策は、国民のセーフティーネットとしての年金や健康(医療)保険問題、最低生活費保障の問題、個人的格差と地域的格差から派生する貧困、教育の機会不均等の問題などへの手堅い施策であり、その遂行である。これ以上格差を拡大させれば、さらなる治安の悪化を招く。必要なのは、国民に適正水準の収入を得られる働く場を与え、事業者が安心して雇用を維持できる環境を整えることである。そして、これをベースに内需拡大策をとることである。アメリカ発のバブルがはじけて淘汰されようとしている経済、金融システムを援助する国費があるなら、直接、実体経済を支えてきた農林、水産、商業、工業の事業者と国民一人一人に視点をあて、国費を使うべきである。

 もし、ここで特定の利益集団や財界よりの政策に多大な国費を費やし、将来に過大な国民負担か生じる政策を遂行しようとするなら、直ぐにでも衆議院を解散して国民に信を問うべきである。そして、その支持があるかどうかを確認すべきである。郵政選挙で増えた議員数があることを奇貨として、政策を強行すれば、その嫌悪感が国民に浸透し、その後も大きく支持を減らすのは、自明の理であろう。衆議院で与党の自民党、公明党の議席の数が多いのを奇貨として、衆議院の解散を求める国民の要望を気化させるべきではない。

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