« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

チグハグな日本政府の防疫態勢

国家の安全保障政策は、外国からの武力攻撃に対する防御や自衛の対策をすることばかりではない。パンデミック・フルー対策も、その重要項目の一つだ。

日本には、新型の豚インフルエンザに感染し、重症化した豚の豚肉と伴に、新型インフルエンザ・ウイルスが、輸入され、国内に持ち込まれる危険性がある。疫学的に考えて、豚インフルエンザに感染している豚が輸入されたら、一緒に新型ウイルスも輸入される危険性があるのである。これは、否定しようがない。

現在、メキシコやカナダなどの養豚場で、大量の豚が豚インフルエンザに感染し、多くの豚が発症している。そして、それが人間にも感染し、重症例や死亡例まで報告されているのだ。しかし、日本は、これらの国々からの豚肉の輸入をし続けている。どうしてなのだろうか。日本のパンデミック・フルー対策は、一体どうなっているのだろうか。危機管理に甘いのではないか。

 世界には、この豚インフルエンザ感染地域のメキシコやカナダ、アメリカなどからの豚肉や豚肉製品などの輸入禁止措置をとった国家がある。中国やロシア、インドネシア、タイ、アラブ首長国連邦、クロアチアなどである。これらの国々は、国家の安全保障対策の一環とし、パンデミック・フルー対策をしていると見ることができるであろう。

 ところが日本政府は、豚肉は、調理する際によく過熱するものであるから、豚肉から新型インフルエンザに感染することはない、としている。そして、インフルエンザに感染しても、血液にウイルスが侵入することはない、というような医学的知見を否定するかのような見解まで述べているのである。

しかし、新型の豚インフルエンザで重症化した豚は、その体液にまで、濃厚に新型インフルエンザ・ウイルスが侵入している蓋然性が高いのだ。(日本赤十字社は、きのう、新型インフルエンザ・ウイルスが未知のものであり、血液にウイルスが混入するかどうかが不明であることを理由に、インフルエンザ感染者からの献血を受け付けないことを発表した。)

そして現在、新型インフルエンザで重症化した豚が解体され、その体液に、つまり、リンパ液や血液などに、新型インフルエンザ・ウイルスがはびこってしまった豚肉が、輸入豚肉として、日本のスーパーや飲食店や家庭に運び込まれ、そこで、精肉とされたり、調理されたりしている可能性が大きいのだ。これが感染経路となるリスクが大きい。

 高温で加熱し、調理すれば豚肉のインフルエンザ・ウイルスは、死滅するだろう。しかし、豚の生肉を調理する過程では、当然、料理する人の手指に豚の体液が直接触れ、まな板や包丁、布巾などにもそれが付着する可能性がある。そこから、人に豚インフルエンザが感染するリスクは極めて高いのだ。豚の体液とは、血液やリンパ液などであるが、スーパーの店頭で販売されているスチロール・バットに入れられた豚肉のドリップにも、その体液が混入している。

 こうした新型インフルエンザ感染で重症化した1頭の豚が、精肉とされ、それが飲食店や家庭に運び込まれた場合には、そこからの新型インフルエンザ感染のリスクは極めて高い。そして、それは、同時多発的に、広い範囲で感染ルートになる可能性が大きいのだ。

 現在、大阪や兵庫などで広がっている新型インフルエンザ感染は、最初の感染ルートが、ナゾとなっている。広い範囲に急激に広がっているからである。しかし、推論であるが、輸入豚肉が感染源となった場合には、その感染の広がりが、合理的に説明できるのだ。

だとすれば、そこには、空港などでの水際検疫で感染ルートを遮断しても、国内に大きな感染源があるという、底の抜けたバケツで水をすくっているような、チグハクさがあるのではないだろうか。それは、日本政府のチグハグな防疫態勢ということができるだろう。

 最初は、メキシコで豚から人に感染したといわれるこの新型の豚インフルエンザが、人から大量の豚に感染した可能性が大きいことがカナダから報道されている。それは、メキシコを旅行していたカナダの養豚場の従業員が、カナダ帰国後に、その養豚場の大量の豚に新型の豚インフルエンザが発症したのだという。そして、その養豚場の豚は、全頭が殺処分され、養豚場は閉鎖されたという。

 豚から人、人から人、そして、人から豚へとこの新型インフルエンザ・ウイルスは、感染を繰り返すうちに、強毒型に変異する可能性があるのだ。そして、現在使用されている抗インフルエンザ・ウイルス剤のタミフルやリレンザに耐性を持つという危険性すらあるのだ。

 そして、日本の養豚場にこの新型の豚インフルエンザの類が及んだ場合には、養豚業に甚大な被害を与えることになるであろう。

 日本政府は、輸入豚肉から新型インフルエンザに感染する危険性を国民に周知させ、早急に、豚インフルエンザの感染が拡大している地域からの豚肉の輸入禁止措置をとるべきである。

 これは、これは企業の経済活動の利害よりも優先される国家の安全保障政策、つまり、パンデミック・フルー対策なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

感染ルートの輸入豚肉原因説

 新型の豚インフルエンザの感染者数が増大している。奈良県では、1,000人以上がインフルエンザの症状を呈し、その内の140人以上に38度以上の発熱があるという。

 この奈良県でのインフルエンザの流行は、時期的に見て季節性のインフルエンザの流行からみると明らかに不自然である。まだ、この流行が、新型インフルエンザへの感染によるものと認定された訳ではないが、その可能性が大きいのだ。

 どうして、こうも感染者数が増大してしまったのだろうか。感染者の多くは、海外渡航歴がない人達である。その最初の感染ルートは、現在、ナゾである。

 しかし、推論が成り立つ。それは、豚インフルエンザに感染した豚肉が、その感染源となったのではないか、という推論である。メキシコやカナダから、相当数の豚肉が日本に輸入されている。その中には、当然、この新型の豚インフルエンザに感染した豚の肉も入っていたことが推測できるのだ。

 政府は、食品パニックを防ぐためか、豚肉はよく加熱して調理するので、豚肉から感染する恐れはない、としていた。しかし、これで良かったのであろうか。

 ウイルスに感染している豚は、肉ばかりではなく、その体液にもウイルスが存在する。体液には、リンパ液や血液も含まれる。よく過熱すればウイルスは死滅する。しかし、感染した豚の肉を料理する過程で、料理する人の手指に新型ウイルスが付着し、まな板や包丁にもそのウイルスが付着する。そして、これが感染ルートとなった可能性は極めて高いのだ。

 インフルエンザは、罹患した人のセキやクシャミなどで吐き出される飛沫からも感染する。そして、血液などの体液からも感染する。それは、豚のセキやクシャミからも同様である。豚の血液に直接触れれば、濃厚接触者となり感染するリスクは高い。

 カナダでは、メキシコからの帰国者がこの新型の豚インフルエンザに感染していて、その感染者から、豚舎の多数の豚が、豚インフルエンザに感染したという報告があるのだ。

 したがって、新型の豚インフルエンザに感染した輸入豚肉が、日本での新型ウイルスの感染源になり、広い地域で同時多発的に、大勢の人に感染した原因となったのではないか、ということが推論できるのだ。これは、あくまでも推論であるが、広い地域での同時多発性を考えると、感染ルートとして十分に考えられるのである。これは、感染ルートの輸入豚肉原因説と言うことができるであろうか。

 だとすれば、これは、鳥インフルエンザに罹ったニワトリやウズラの大量殺処分を発令できるのに反し、この豚インフルエンザの流行地域からの豚肉輸入を禁止しなかった政府の失策ではないかと思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化の様相(1) 公衆便所・その5

東南アジアなどの国々の水道ホースや水桶に溜め込んだ水で用を足した後に洗浄する方式のトイレは、床が水浸しになっていることが多い。便器は日本の和式と同様に平型で、それを跨ぐ方式である。このタイプで紙を使わずに水を使う訳だから、水は外にこぼれ、周りがビショビショに濡れてしまうのは仕方がないことである。このようなトイレに、底の薄い履物やスニーカーなどの布製の靴で入れば、足まで濡れてしまう。

次に欧米の国々の洋式トイレについてであるが、便座に素肌を触れて腰掛ける訳であるから、あまり気持ちいいものではない。他人がむき出しの素肌を触れて使ったことを考えると、何か使い捨ての紙の便座カバーでもあれば良いだろうが、そういうものは欧米の一般のトイレでは見かけたことがない。

日本では、一部の洋式トイレでは、便座の消毒液や紙の使い捨て便座カバーを備えている場合がある。しかし、欧米の洋式トイレでそこまで丁寧に衛生管理を徹底しているトイレは少ないだろう。

しかし、日本人が良く利用するような有名ブランド商品などを売る店や高級ホテルのトイレには、そういうものが特別にしつらえてある場合があるのかも知れない。

また、トイレット・ペーパーについてであるが、日本では、トイレット・ペーパーと言い、ひと巻きで直径が12~3センチメートルのロールである。しかし、欧米では、多人数か使うトイレのペーパーは、一般にトイレット・ロールと言い、ひと巻きの直径が50センチメートル前後の大判である。ペーパーを引き出すと、紙でできたドラムがガラガラと回転しているように見える。ロール全体がガラガラと回りながら、ペーパーが出てくるのである。

このトイレット・ペーパーの様式一つをとっても、日本文化の繊細さと、欧米文化の大胆さという文化の様相の違いが出ているように思う。

米国の有名観光地、グランドキャニヨン国立公園では、コロラド河が流れる谷底へ下るトレイルに幾つかの公衆便所がある。その洋式トイレの一つに入った時のことであるが、そのあまりの汚さに驚いたことがある。尾籠(びろう)な話ではあるが、洋式便器の内と外に汚物がこぼれて、流れずに溜まっていたのだ。しかし、急を要する用足しの場合には、あれこれ言っていられないので、仕方なしにそれを利用したが、凄く後味が悪かった。

これらを考えただけでも、日本のトイレは、和式、洋式にかかわらず、快適で衛生的に思える。日本の場合には、行政も国民も、公衆衛生についての意識が高いように感じるのだ。これがトイレの衛生管理にも生かされている。

すべての世界を隈なく歩いた訳ではないが、世界各国の公衆便所の中で、日本のものが一番きれいではないかと思うのだ。一般に、よく掃除が行き届いていて、管理が良い。一部の山間地の公園などでは、掃除の手が行き届いていない場合があるが、押しなべてよく管理されていると思う。

臭い話ばかりを続けてきた。この辺で話題を変えたいと思う。次の項からの異文化の様相(2)は、堅い話ではあるが、公衆道徳についてである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化の様相(1) 公衆便所・その4

日本を除く東アジアの国々には、前の項に述べたような便所の遠回し表現があるのかどうかは知らない。台湾では、確か道路沿いの公衆便所に「厠處」と表示されていたように記憶している。ここのトイレでは使用料は無料であった。

ところで、「厠處」の漢字「厠」は、日本語の訓読みでは「かわや」と読む。そして、「厠」とは、川の上に掛けて作った屋の意で大小便をする所、と広辞苑にはある。昔は、川の上で用を足していたのであろう。また、「處」とは、日本語の漢字の「処」の旧字体で、「所」の意味であるから、解り易い。

余談だが、そのトイレの外側には、洗面台が並んでいて、確か「盥場」などと表現されていた様に記憶している。「盥」とは、日本語では「たらい」のことであり、洗い桶のことである。つまり、洗面器も「たらい」と言うのだ。現在の台湾で使われている漢字は、日本語の旧字体の漢字が多く、日本人には解り易い。これは、中国で現在使われている簡体漢字が解り難くなったのとは、対照的だ。

韓国では、トイレのことを「ファジャンシリ」という。韓国語を知らなくても、大概の観光地の売店などで、“Excuse me, but where is a ファジャンシリ?” のように、英語韓国語混淆(こんこう)で訊(き)くとトイレを教えてもらえる。韓国でも観光地の公衆便所の使用は一般に無料のようだ。

そして、韓国の人たちは一般に、道を尋ねたり、物について質問したりした場合に、大変丁寧に応対してくれる。特に慶州や釜山などの地方都市の人たちが親切だ。道を訊くと、わざわざ先導して教えてくれる程だ。これには、大変かしこまってしまう。「コーマスプニダ」と思わず声が出てしまう。

中国でも、観光地の公衆便所は無料であった。ただし、中国の便所は、大便器を囲う壁はあるものの、その扉(とびら)の上下が開いていて、用を足している姿が外から容易に覗(のぞ)かれてしまうのが多いのだ。

そして、その扉は、前が大きく開いていると思ってそちらを注意していると、裏側も開いているという仕様であった。用を足していたAkkii が気が付くと、裏側から現地ガイドがこちらをじっと見つめているという仕儀(しぎ)であった。しまった、お粗末な一物(いちもつ)を見られてしまったか、と思ったものである。文化の違いと言うものは、恐ろしいものである。まさに異文化である。

なお、東アジアの国々である、台湾や韓国や中国、そして日本の公衆便所が、使用料が無料であることが多いと言う事実は、前々項までで述べた東南アジアや欧米の国々での有料トイレの話は、どうやら東アジアの国々だけには汎用化されえないことを示しているようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化の様相(1) 公衆便所・その3

日本語では、便所の表現に古来より様々な言葉が使われてきた。例えば、洗面所、御不浄(ごふじょう)、はばかり、雪隠(せっちん)、厠(かわや)、便所、お手洗い、化粧室、WC、パウダー・ルーム、トイレット、トイレ、などである。この内、トイレやトイレット、パウダー・ルーム、化粧室、お手洗い、洗面所、御不浄、はばかり、雪隠などは、便所というストレートな表現を遠回しに言い表すために、工夫されて使われてきたのだろうか。現在では、外来語から来たトイレが最もポピュラーな表現のように思う。

西欧の代表的な言語、英語でも、ホテルや劇場などの便所のことを遠回しに “REST ROOM” と表現した言葉が使われることがある(ジーニアス英和辞典、大修館書店)。また、洗面所のことを “BATHROOM“とも言う。そして、トイレに行きたいということを、”Nature is calling to me.”などと表現したりする。

この遠回し表現に倣(なら)ってか、外国人の観光客も多い日本の有名観光地、奥日光でも、竜頭の滝の入り口駐車場にあるトイレには、その外壁に“REST ROOM”と表現されている。もちろん、そこは休憩所ではなく、公衆便所なのである。

また、英会話表現で、「トイレはどこでしょうか、トイレをお借りしたいのですが」と言う場合に “I’ve got to go.”  Excuse me, but where can I go? という様に、トイレを明示する言葉を省いた遠回し表現が使われることがある(参照:ジーニアス和英辞典、大修館書店)。

一方、日本語でも、大小便をすることを「用を足す」や「用足しに行く」と遠回しに表現することがある。そして、ハイキングや登山などでは、女性が大自然の中で大小便をすることを、一般に「花を摘む」や「花摘みに行く」などと遠回しに表現したりする。

これは、本来は小便をすることを意味していたのだろうが、女性の用を足す姿からは、大なのか小なのかは判然としない。したがって、大便、小便のいずれの場合も「花を摘む」となったのであろう。また、この方が、自然負荷が大きい大便の場合でも、それを明示しないことで、その恥ずかしさが和らぐのだろう。ちょっと、尾籠(びろう)で臭い話ではあるが・・・。

そして、休憩の時などに、「ちょっと、お花を摘んできま~ス」などのように表現して、岩陰やハイマツ帯の藪(やぶ)の中に分け入ったりする。すると、これを知らない登山の初心者などは、高山植物の花を摘んだりするのはけしからん、と誤解したりすることがあるのだ。

Akkiiも、登山でリーダーを務めていた際に、「こんな所で高山植物の花を摘んで良いのですか」と、その山行に参加していた初心者から訊(き)かれたことがある。その目には明らかに、何で「花を摘んできま~ス」と言うのに、リーダーが注意しないのだ、という批判の光があった。高山植物は保護しなければならないのはもっともだが、実際に「花を摘む」訳ではないのだ。

また、ハイキングや登山中の男性の場合は、小便をすることを「小雉(こきじ)を撃つ」と言ったりする。これは、男性の一物(いちもつ)をキジ撃ちの鉄砲に見立てた、ユーモアを交えての遠回し表現である。一方、大便をすることを「大雉(おおきじ)を撃つ」と言ったり、単に「雉を撃つ」や「雉撃ちに行く」と言ったりする。

それは、「ちょっと、大雉を撃ちたいので先に行っていてください」などのように表現するのだ。こういう場合には、その臭いから逃(のが)れるため、少し先に進んで待つことにする。

なお、大便のことを「糞(くそ)」とも言うが、これをストレートに、「糞(くそ)をしたいので先に行ってください」と表現されては、目に見えるようで臭すぎる。これよりは、先の「大雉を撃ちたい」は、遥かに柔らかく感じる遠回し表現だ。これらの遠回し表現は、アウトドア・アクティビティーのテクニカルタームと言えるだろうか。

以上のことから考えると、洋の東西を問わず、一部には便所や大小便をすることをストレートに表現することが、「はばかられる」という文化がある、ということなのだろうか。面白い現象である。

ところで、日本人男性の街角での立小便は、欧米圏からは奇異に見られて、野蛮人の姿であると捉えられたりしている。また、一般に、日本人は男女を問わず、野山で平気で用を足すことができるが、欧米人は、これを極端に我慢する。

特にハイキングや登山に参加した欧米人の女性の場合は我慢する。本人には凄く苦しいだろうが、トイレのあるところまで我慢するのである。これには驚くばかりだ。文化の違いなのであろう。まさに異文化の様相である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化の様相(1) 公衆便所・その2

マレーシアのペナン島はジョージタウンにあるランドマーク、65階建ての円筒形の現代的な建物は、コムタという。ここには、最上階近くに展望レストランがあり、その階下にマレーシア政府観光局のペナン支局がある。このペナン支局からもジョージタウンの町並みが一望できる。ここでは、ペナン島案内の日本語版の無料パンフレットやロングステイのためのビザ取得の案内書などを入手できる。

また、ビル内には、ペナン州の州庁も入っている。その他、各種商店やレストラン、ファスト・フードの店なども沢山入っていて賑わっている。マクドナルドも2店舗入っている位だ。つまり、公共性の高い建物なのである。

ところが、このランドマークのコムタのトイレは有料である上に、トイレにはトイレット・ペーパーがない。トイレを覗いてペーパーがないのに気付いたAkkiiは、トイレ使用料を集金していた女性係員にそれを告げて、ペーパーを要求した。するとその係員は、トイレでは紙を使うのは禁止されていると言うのだ。ゴムホースから水を出して、手で洗うのだと言うのである。

そして、トイレにはそのゴムホースがあるのだ。これを使って、用を足した後始末をしたAkkiiは、水流の調整に失敗し、パンツからズボンからビショビショにしてしまった。南国の熱帯であるから、水に濡れてひんやりした感触は心地良い。しかし、見た目にはお漏らししたみたいで極めて格好が悪い。

トイレから出て、女性係員に濡れたズボンを示し、“Its too difficult to wash my ……” と言うと、同情の眼差しながら係員は笑っていた。仕方なく、6階にあるマクドナルドでコーヒーを飲みながら、それが乾燥するまでの時間を稼いだ。気温が高いせいか、乾燥が早い。

タイやマレーシアなどでは、高級ホテルや外国人が詰め掛けるショッピング・モール以外では、公共の建物ですら、ほとんどの便所にトイレット・ペーパーは用意されていない。また、トイレにゴムホースがあるのは良い方で、水桶にヒシャクが置かれた方式も多い。公衆便所の様式が違うのである。

お尻の洗浄は左手使用である。したがって、公衆の目の届くところで、左手で食べ物を掴(つか)んで口に頬張ったり、左手で握手を求めたりすると、これらの国々では軽蔑の眼差しに会うので注意が必要だ。また、左手で子供の頭を触ったり、撫でたりすることは厳禁だ。それは、左手が不浄の手であるということばかりではなく、特にムスリム(イスラム教徒)にとっては、頭は神聖な部位とされており、これに他人が触れることを忌み嫌うからである。日本とこれらの国々では、文化が違うのである。まさに、異文化だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

異文化の様相(1) 公衆便所・その1

 「異文化」とは、広辞苑には「生活様式や宗教などが(自分の生活圏と)異なる文化」とある。ところが、「異文化」という言葉は良くないと言う人がいる。これは、いわゆる「言葉狩り」派の主張である。これは、タイの少数民族である「アカ族」の「族」という言葉は差別用語なので、「アカの人びと」と呼ぶべきだ、という主張と軌(き)を一にする。

しかし、言葉は、表現の手段なのであるから、わざわざ「アカ族」という用語で指し示されてきた人たちの呼称を「アカの人びと」に制限したり、「異文化」という言葉を使うことを否定したりして、日本語での表現力を減衰させるべきではない。よって、ここでは、「異文化」という言葉を堂々と使うことにする。

ところで、海外旅行先でトイレに困った人たちが多いと聞く。まず、日本では、無料で使える公衆便所が結構ある。街内でも、デパートや公園などにも無料トイレがある。コンビニエンス・ストアでは、買い物をしなくてもトイレを貸してくれる。また、トイレット・ペーパーは、ほとんどのトイレに用意されている。

 しかし、海外に出かけてみると、トイレがほとんど見当たらなかったり、トイレ使用が有料であったりで、苦労することがある。勢い、ファスト・フード店や、レストランに入って、必要もないメニューを見て、飲食物を注文したりすることもある。西欧の諸国ですらそうだ。日本以外の多くのアジアの国々でもそうだ。 また、トイレット・ペーパーが置いていないのは当たり前だ。

 欧米のガソリンスタンドでは、トイレにがっちりと鍵をかけていたりして、給油したお客にしかトイレを使わせない所が多い。日本とは違う文化だ。

特に困るのは、トイレット・ペーパーを使ってはいけない国々だ。東南アジアに多い。トイレには、お尻の洗浄用に水道蛇口に直結されたゴムホースがあれば良い方で、水桶にヒシャクといった所が多い。これらのトイレの使用方法は、左手を使って、ホースやヒシャクで水をかけ、お尻を洗い流すのだ。南アジア(インドなど)や東南アジアなどでは、左手が、不浄の手と言われる所以(ゆえん)だ。

 このゴムホースの使用方法に慣れないと、下着やズボンやスカートがびしょびしょになってしまう。これらの国々に出かける場合には、風呂場などでシャワーなどを使って練習し、習熟しておくことをお勧めする。シャワーヘッドは、水流を散水から直水に変えられるものは、そのままでも良いが、それが出来ないものは、シャワーヘッドを外し、ホース状にして水を出すと良い。これを使ってお尻を洗うのは、殊の外(ことのほか)難しい。特にズボンを穿(は)いている場合には難しい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »