過剰報道と国政調査権の行使
朝日新聞の東京版朝刊2010年1月20日第13版の第4面、政治欄に「民主、検察批判に拍車」、「メディアに矛先」とのトップ見出しで、「検察捜査と報道をめぐる与党内の発言」の要旨が、一覧表で掲載されている。この記事全体では、メディアに対する報道規制を警戒しつつ、「検察はいつも正義だ」と言えないことを結論付けている内容にも取れる。
これは、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体、陸山会の土地購入資金をめぐる問題に関して、である。小沢氏の元秘書で現職の衆議院議員である石川知裕氏を含む3人が逮捕されている。この逮捕劇は、衝撃的であった。それは、任意の事情聴取として石川知裕衆議院議員を東京地検特捜部に出頭を要請しておいて、現職の国会議員をその事情聴取中にいきなり逮捕してしまったからだ。
まさか、石川代議士も周囲の人たちも、現職国会議員の任意出頭で、いきなり逮捕とは想像していなかったのではいか。しかも、逮捕容疑は政治資金規正法違反という、「形式犯」によるから尚更だ。この「形式犯」には、法律学上の定義があり、この法令違反は「形式犯」という。そこに実質的な「違法性」や「責任」があるかどうかで、この「形式犯」であることを否定するような見解が一部になされているが、この方には「法律学」を再度、点検していただきたい。
この「形式犯」で、国民の代表として、「国民の負託」を受け、衆議院議員として活動している現職の国会議員を、民主党大会を直前に控え、また、通常国会を数日後に控えた時期に逮捕できるものであろうか。現職の国会議員であれば、逃げも隠れもしないであろう。逮捕までして身柄を拘束しなくても、事情聴取はできるのではないか。これは明らかな不当逮捕ではないか。
そして、東京地検特捜部は、いわゆる「ガサ入り」と言われる家宅捜索をして、現職国会議員の政治事務所や個人事務所、個人宅まで強制捜査し、個人の日記やメモ帳、PCまで押収しているのだ。これは、民主党政権に対抗する側からの仕組まれた攻撃なのだろうか。この辺の真相は、立法府の国会としての国政調査権の行使も視野に、次に述べるリーク犯を逮捕して、取り調べる必要がありそうだ。
それは、この事件に関する検察サイドからのメディアへのリークが頻繁だからだ。逮捕された3人の取調べの内容がリークされ、メディアを使って、さも、被疑事実とされる内容が、確定した犯罪事実であるかのように頻繁に報道されているのだ。これは、過剰報道だ。これは、日本国憲法が、たとえ容疑者や被告人であっても、裁判所で有罪判決が確定するまでは犯罪者としては扱わないことを規定していることに反する。「有罪」が確定するまでは、「推定無罪」なのだ。また、取調べ中の内容をリークという手法を使って世間に漏洩させることは、国家公務員法違反であり、刑事訴訟法違反である。政府与党は、行政府のみならず立法府という統治機構をあげて、このリーク犯を捜査して逮捕し、その動機や違法性、責任を取り調べ、厳正に対処すべきであろう。立法府としての国会には、国政調査権があるのだ。
さて、先の朝日新聞の報道であるが、同記事枠の中に「識者の見方は」というコラムがあるので、一部抜粋する。そこには、田島泰彦上智大学教授(メディア法)の「取材の規制 とんでもない」のタイトルの中に「メディアは検察のやり方を批判的に考え、検察情報の扱い方をしっかりしないと検察に使われてしまう。」という文言があり、「小沢氏の政治資金をめぐる問題ではメディア全体が意図的なリークに乗る方向で機能した気がする。」との言説がある。また、元共同通信編集主幹でジャーナリストの原寿雄氏は、「『検察が正義』疑う必要も」の中で、「マスコミと検察が一体になった情報操作だという主張も理解できる。」とあり、「検察がいつも正義だと信じていいかは疑ってかかる必要がある。」と述べているのだ。
この問題では、前述のように現職の国会議員が逮捕されているのだ。しかも、そこには不当逮捕である疑いがある。ここには、国会の国政調査権の行使に必要性と合理性があるであろう。この問題に関しては、民主党はじめ、社民党、国民新党などを含む政権与党は、国会としての国政調査権を行使すべきであろう。それは、検察といえども行政権の一部であり、立法府である国会の代議士である現職衆議院議員の不当逮捕は、国会として座視できないと考えるからだ。
なお、民主党の小沢一郎幹事長の東京地検特捜部への任意の事情聴取のための出頭要請が続いているようであるが、現状でこれに応じるのは拙速であると思う。それは、この現職国会議員の不当逮捕の疑念まである検察サイドが、どのような動機と目的で動いているか不透明であるからだ。この辺の真相を究明してから、必要性があれば事情聴取に応じるというスタンスが、今の小沢幹事長にとって望ましいと思えるのだ。なぜならば、小沢一郎氏は、現政権の安定の要であり、要の喪失は国政の喪失に繋がる恐れがあるからだ。
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コメント
検察の良識が完全に麻痺している。公平性、法益の権衡を全く考慮されていない検察の強制捜査は看過できない。今回の強制捜査により、他の政治家への寄付や賄賂性の疑いのあるゼネコンによる出金状況などは全く報道されないのはおかしい。強制捜査で得たゼネコンの財務出金状況を分析すれば問題の所在はすぐに把握できる。政治家への強制捜査が行われる場合、他の政治家への寄付や賄賂がどのようなものであったのかを確認し、事実解明をすることにより強制捜査の正当性が担保されうる。
投稿: 藤井 智久 | 2010年1月20日 (水) 18時08分