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冤罪を生む威迫的取調べとメディアの報道

  菅家利和さんの冤罪が、今日(3月26日)、再審の裁判上でも明らかになり、正式に無罪であることが裁判所により判示された。再審による無罪判決だ。この事件は冤罪事件として、後世に長くその名を留めることであろう。事件名は「足利事件」という。

 どうしてこんな冤罪事件が生じたのであろうか。菅家さんが逮捕された当時、警察側からのリークで、メディアも、さも菅家さんが4歳の幼女殺しの真犯人であるかのように確定的に報道し続けた。そして、菅家さんが幼女殺害の真犯人であり、極悪非道な人間であるかのような世論が醸成されたのだ。

菅家さんは、殺された幼女が通う保育園のバスの運転手だった。性格がおとなしく、人の心理的な誘導に乗りやすいタイプだ。そして、菅家さんは、無実の罪で無期懲役刑を宣告され、長期間拘束されていたのだ。未決勾留の期間と無期懲役刑で監獄に閉じ込められていた期間は、合計で17年半にも及ぶ。

 警察と検察側の主張では、当時のDNA鑑定結果が証拠であった。しかし、DNA鑑定は間違いで、菅家さん本人のものではなかった。菅家さんは、いかに無念であっただろうか。自分が行っていない犯罪をでっち上げられ、無実を訴えても、公権力側は、誰も取り上げてくれなかった。

真実を語っても、警察も検察も、裁判所までもが理解してくれなかったし、信じてくれなかった。警察や検察の取調べでは、強権的に自白を誘導された。ほとんど拷問にも近い取調べ方だ。PTSDが疑われるような連日に渡る長時間の取調べと恫喝や威迫があったようだ。家族からも見放され、収監されている最中に父親も亡くなった。

どうしてこんなことが起きたのだろうか。この幼女殺害の真犯人は、のうのうとして逃げおおせた。菅家さんが逮捕され、収監されているのを知って、ほくそ笑んでいたことであろう。万一今更、真犯人が出てきても、既に公訴時効が成立していて、処罰できない。

この菅家さん事件以外では、冤罪は無いのだろうか。今、再審を求める訴えが各地で起きている。検察も警察も、もう一度、日本国憲法の人権規定を再確認し、特に、「疑わしきは被告人の利益に」や「推定無罪」、そして、犯罪を証明する証拠が「本人の自白のみ」である場合には処罰できないなどの、刑事訴訟の鉄則とその背景思想を再認識すべきである。

これにより、万一、真犯人を取り逃がしたとしても、冤罪による犠牲者が出ない方を日本国憲法は選択しているのだ。今回の冤罪事件の被害者、菅家利和さんは、無期懲役刑の判決確定により、収監されていたから命だけは助かった。しかし、もし万一、これが死刑の宣告だったら、どうしようも無かった。

そう思うと、警察と検察側のリークに踊らされ、確定していない被疑事実をさも犯罪事実であるかのような報道をするメディア側を規制する法律が必要ではないかとも思う。報道の自由にも、自ずと限度があることをメディア側は、再確認すべきだ。そして、逆に公権力側の落ち度や不手際を追求すべきだ。

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コメント

 捜査機関の自白偏重主義が、冤罪を生んでいる大きな原因だ。

 足利事件で菅家さんが取調べを受けたときの状況が、共産党の機関紙、しんぶん赤旗の昨年6月11日号に、菅家さんが収監先の千葉刑務所から釈放された後の話として掲載されている。WEB検索で知った。キーワードとして「足利事件 冤罪」と入れると検索できる。

 取調べの状況が生々しい。もし、この取調べの状況が事実として立件できれば、警察官や検察官の特別公務員暴行陵虐の罪を問える。また、自白を記載した供述調書の証拠能力が否定される。

 過去には、政敵側から仕組まれ、選挙違反の罪をでっち上げられた志布志事件(しぶしじけん)なども起きており、取調べの全面可視化が必要だろう。

投稿: akkii | 2010年3月30日 (火) 08時50分

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» 取調べの状況と供述調書作成過程の検証が必要だ [merry-akkiiのそうか日本語、そうだ日本語]
 冤罪事件は、被告人本人が自供したという供述調書が、一般に裁判を通じて証拠能力を保持することになる。しかし、この本人が犯行を自供したという調書内容が、警察や検察の取調べの課程で、改ざんされたり、加筆されたりしていたら、その証拠能力が否定されなければならない。  また、取調べの過程で、長時間に渡る過酷な取調べがあった場合や、恫喝や威迫、不公正な利益誘導などがあった場合にも、自白の任意性が否定され、供述調書の証拠能力が否定されなければならない。個人の人権を重視する日本国憲法..... [続きを読む]

受信: 2010年4月 9日 (金) 11時34分

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