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無節操のコラボ?

 「コラボ」とは、「コラボレーション」、つまり英語の”collaboration”のことだ。この英語の意味には、(1)〔・・・との/・・・での〕協同、協力、共同制作、(2)合作、共同制作品、(3)(敵への)協力、同調、などがある(ジーニアス英和辞典)。

ところで、このところの菅内閣総理大臣は、何を勘違いしているのだろうか。今の民主党には、このコラボレーションの前記(3)の意味を髣髴(ほうふつ)とさせるような動きがあるように思えるのだ。これは第2次菅内閣の閣僚として、先の衆議院選で自民党から比例区に立候補し、当選した与謝野馨氏を入閣させた件である。与謝野氏は、その著書の中でも民主党には、日本の政治を任せられないことを強く主張しているようであるから、なお更そう思うのだ。

無節操にも程というものがあるであろう。菅内閣が、民主党の政権与党としての政策遂行に懸念を抱いている元民主党代表の小沢一郎氏を排斥し、自民党から比例区で当選した与謝野氏に民主党を中心とする政権で入閣させるなどは、多くの国民の目にその無節操振りが、異常に映っていることであろう。これでは、民主党が主導する、菅氏と与謝野氏の無節操のコラボレーションという他は無いのではないか。

今の民主党には、政治的リーダーシップを発揮して、日本の財界や官界を説得し、米国、中国などの強大国との外交を取り仕切れる人材は、小沢一郎氏をおいてはないであろう。先の総選挙で民主党が勝利したのは、小沢一郎氏の「何かもっている」という強いカリスマ性と、その政治的手腕に多くの国民が期待を寄せたからであると思うのだ。

しかし、菅直人首相は、自らの力で政権を勝ち取ったように錯覚しているのであろうか。政治は、学生運動や消費者活動ではないだろう。菅氏や岡田氏や前原氏だけが前面に出て、民主党が政治を動かし、選挙戦を戦っても、民主党を支持する国民は少ないだろうと思うのだ。今の民主党には、日本を取り巻く閉塞感の打破に期待が持てないように感じる。

ところで、小沢一郎氏は、その強腕とも称される政治的手腕やカリスマ性から、財界や官界、そして米国などから警戒されているのかも知れないが、ここは、再度、小沢一郎氏に民主党政治の表舞台に再登板願って、民主党を立て直し、政権与党としてのイメージを回復させるべきであろう。

現状のままでは、この春の統一地方選でも、民主党公認や民主党推薦の立候補者は、軒並み落選することになってしまうだろう。昨年末に行われた茨城県議会議員選挙では、民主党が6議席しかとれず惨敗した。反面、自民党が33議席を獲得し、大勝したのだ。最近のその他の地方選でも、民主党が敗れている。このままでは、この深刻な傾向は今後も続くことが当然予想される。

更に深刻なことは、昨年、菅首相がTPP参加推進を表明して以来、日本国内各地で、農業関係者や漁業関係者などによるTPP参加反対運動が盛り上がり、菅内閣に対する激しい批判が展開された件だ。これは、今でも多くの国民に鮮烈な印象として残っているだろう。それにも関わらず、菅直人首相は、現在でも今年6月までTPP参加推進をはっきりさせると息巻いているのだ。

そのTPP参加の発言の結果が、茨城県議選などの大敗北の原因である可能性は、なぜかメディアは言及していないようである。これは先の参議院選挙で菅首相が消費税10%導入発言をして、世論の顰蹙(ひんしゅく)を買ったときと同じ構図だろう。その結果、民主党は先の参議院選での大敗を招き、現在の国会がねじれ現象となったと言われているのだ。

いったい何が、菅首相をここまで追い詰めているのだろうか。日本が江戸時代の鎖国を解いて開国したときには、欧米列強との間で不平等条約を締結してしまい、明治時代の初期には不平等条約の改定、つまり、「関税自主権」の確立と「治外法権」の撤廃が、大きな外交課題であったと思う。

ところが、菅首相が進めようとしているTPPでは、関税を撤廃し、「日本を開く」と表現しているのだ。しかし、これでは時代に逆行し、「関税自主権」を放棄する動きのようにもとれる。尖閣諸島問題でも民主党の弱腰外交が気にかかる。特に、第1次菅内閣の仙石官房長官は、中国に対して敬語を多用しながらへりくだり、メディアに露出していたように思えたのだ。

国家が、国家主権を維持するためには、最低でも領土、領海、領空、そして経済水域を保全することが必要だ。その上、外国との物や人の行き来を監視し、コントロールする術は確保しておく必要があるであろう。つまり、国家主権の発動の礎(いしずえ)として、「関税自主権」は必要不可欠だと思うのだ。この「関税自主権」を放棄して、外国からの物や人の移入と引き換えに、日本からの物や人が外国に自由に移出できることとを目指すべきではないだろう。

そして、日本で製造された物やサービスなどが外国に大量に売れるということだけを、日本の外交の目的とすべきではないだろう。しかし、残念ながら今の民主党は、国民の総意を無視して、外貨獲得にだけ重きを置き、財界の意向に沿おうとしているように思える。その財界の意向の代表が与謝野氏なのだろうか。だが、これ以上の無節操のコラボは止めて欲しいと思うのだ。

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LCCの台頭で大手旅行会社の業績低迷?

 日本の流通業界では、百貨店が低迷し、スーパーとコンビニが活況を呈しているようだ。これを旅行業界でみてみると、日本の大手旅行会社はやはり苦戦しているようだ。

 格安な費用で楽しめる海外旅行を計画するために、大手旅行会社数社の海外主催旅行のパンフレットやリーフレットを採り取り集めて、比較検討してみた。そして、驚くべき内容に目を瞠った。まず、ある大手旅行会社が発行したA4版の海外旅行広告の中で、小さな文字で表現されている次の文言だ。

 「上記日程からの別行動、減延泊、航空会社、便名の指定・希望はお受けできません。」

 この文言が表現されている大手旅行社の海外旅行は、日程を4日、5日、6日のものから選択できるものであった。そうであれば、人にはいろいろな都合が発生し、法律的にも事情変更の原則というものが考えられるのであるから、6日の旅程を選択していても、4日以上の日程であれば、減泊に変更できてもよさそうなものである。また、4日の旅程を選択していても6日の日程に変更できてもよさそうなものである。しかし、それはできないという。果たして、そこまで旅行者を拘束していいものだろうか。

 この旅行者を画一的に拘束する方式の海外旅行は、日本独特の旅行業界の方式らしい。海外旅行先での旅行者の行動を画一的に制限し、旅程を拘束するのは少なくとも先進国の旅行会社の方式ではないらしいのだ。しかし、先進国であるはずの日本の旅行会社は、旅行参加者を全て自らの利益システムの中で動かし、利益を得ようとしてやっきになっているようだ。

 その証左を見つけるためには、海外旅行先で現地の英語ガイドツアーに、日本の旅行会社やその息のかかった現地旅行会社を通さないで、直接申し込んで参加してみるとよい。まず、旅行費用が日本語ガイドツアーに比べて3分の1から2分の1であるのに驚かされる。

 その上、日本の旅行会社が勧める日本語ガイドツアーでは、欲しくもないのに買い物に長時間付き合わされ、拘束されることが多いが、世界各地からの参加者が集う英語ガイドツアーでは、そういうことがない。これがグローバルスタンダードの海外におけるオプショナル・ツアーなのであろう。

 日本の大手旅行会社にも、もっと旅行参加者が自由に楽しめる海外旅行を催行してもらいたいものである。日本の旅行会社が募集する海外旅行だけが、世界各地で、割高なオプショナル・ツアーを勧め、ホテル宿泊料金も1室料金制ではなく、1人料金制で旅行者に高額な負担を強いるなどは、あってはならないと思うのだ。

 さらに、海外旅行の費用は、旅行会社が催行する場合でも、航空券と現地旅行手配の費用に2分できるとされているのであるから、航空機延長とも表現される「帰国日延長」は、旅行者の自由意志で選択できることを原則とすべきであろう。

帰国日延長は、航空会社は一定の費用を払えば、一般にその変更を認めているのだ。この航空機変更のための費用は、旅行者が負担することになっているのに、その費用を負担しても「変更できない」としてまで、海外旅行を楽しもうとする日本国民を拘束するのは、いったい何を目的としているのだろうか。

これでは、LCCといわれる格安航空会社が台頭してきた昨今、融通のきかない大手旅行会社の業績は、大きく低迷することが避けられないだろう。

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