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未明と北日本から (その3)

南北に長い日本列島の北海道から沖縄まで134箇所もあるとされている米軍基地や米軍施設を使用している米国軍に対する、気象に関する情報提供のためなのであろうか。気象庁やNHKは、天気予報を気象情報と呼び習わし、東北北部の秋田県や青森県や岩手県、そして北海道を含む地域を「北日本」と呼称している。

ところで、日本語では、従来、「北日本」という言葉は、新潟県や富山県、石川県などの北陸地方を指す呼称であったのは、この項の(その2)で述べた。気象庁やNHKが、この「北日本」という言葉を、北部日本を指し示す言葉に変えてしまうとは、日本文化や日本語に対する冒涜(ぼうとく)であり、背信行為であることも述べた。以下は、前に述べたことと一部重複するが、再度述べる。

南北に長い日本列島でも、その地域を半分に分ける呼称は、「東日本」と「西日本」である。この境界は、フォッサマグナと言われる糸魚川―静岡構造線であるとされたり、また、家庭に供給される電気の周波数が50Hzと60Hzに分かれる境界に相当するとも言われたりしている。しかし、日本列島を「北日本」と「南日本」という言葉を使って分けることはなかった。そして、NHKの気象情報を聴いていれば分かるが、わざわざ「北日本」という用語を使って、説明する必要がある局面は出てこない。これは、「北日本」という用語を使うと同時に「東日本」や「北海道」、「秋田県」、「青森県」、「岩手県」という地域名や県名なども気象情報の中では使われているからである。

ところが、気象庁やNHKは、この東日本北部の秋田県や青森県や岩手県、そして、北海道を含む日本の北部地域を「北日本」と呼称している。NHKの気象情報では、この項がこのブログにアップされてからは、既成事実でも作ろうとするかのように、「北日本」という用語を頻出させているかのようだ。やたらに「北日本」が出てくるからだ。確かにこれを英語では、”Northern Japan” と表現できようが、それは、「北日本」と訳すのでは無く、「北部日本」と訳すべきであろうし、どうしてもこの英語に相当する用語を使うというのであれば、「北部日本」を使うべきである。なぜならば、日本語としては、既に北陸地方を指し示す「北日本」という言葉が存在し、長い歴史の中で、既にこの地域の文化にその言葉が深く根ざし、この地域の企業名などにも広く使われてきたからだ。例えば、「北日本新聞社」や「北日本放送」などである。気象庁やNHKが、既にある「日本語」の言葉の意味を壊してはならないだろう。

この英語の翻訳で思い当る節(ふし)がある。それは、Akkii が、かつて使ったことがある研究社発行の “Spoken American English” という英会話テキストに、学生の父親が福島県で簿記学校を経営しているというスキットがあり、そこでは福島県が ”Northern Japan” にあると表現されていたのだ。日本を南北に分ければ、福島県が北部日本になることは納得できる。しかし、これを「北日本」とは訳せないだろう。

今、日本では、気象庁が「予報用語」という縛り(しばり)で、メディアが天気予報で使う報道用語を規制し、言葉の意味を付け替えるなどして、実質的に報道で使われる日本語を変容させていることが問題となっているのだ。この項で問題にした「未明」と「北日本」はその例の一部だ。これはWEB検索で「気象庁 予報用語」とキーワードを入力して調べれば直ぐに分かる。国語を所掌する文部科学省ではなく、国土交通省の外局である気象庁が「予報用語」の規則の中で、日本語の語彙や表現方法まで例示し、規制しているのである。気象庁やNHKに、「国語」を壊させてはならないだろう。

一国の言語政策は、安全保障にも絡む重要な政策課題である。政府は、日本語を監視し、護り、指導する独立した国家機関を設けるべきである。それは、文部科学相の諮問機関である文化審議会の一分科会に国語行政を託するなどの行為は、あまりにも緩過ぎると思うからだ。NHKはじめ、報道で使われる用語を監視し、指導できるくらいの強力な国家機関が必要であると思うのだ。

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未明と北日本から (その2)

「北日本」という言葉は、元来の日本語では新潟県や富山県や石川県などの北陸地方を指し示す言葉であった。この言葉を気象庁は、「予報用語」の縛り(しばり)で、東北地方の北部や北海道を含む地域を指す言葉に変えてしまっているのだ。これは、日本文化や日本語を冒涜(ぼうとく)するとんでもないことだ。

従来の日本語では、秋田県や青森県や岩手県を「北日本」と表現することは無かった。また、「トンネルを抜けると雪国であった」と、ノーベル文学賞を受賞した小説家である川端康成が書いた『雪国』に表現されているように、日本文化の中心であった江戸東京から北に向かうと、「雪国」があり、そこは「北日本」であったのだ。そしてこの地域は「北日本」と表現されてきたし、今でも「北日本新聞」があり、「北日本製菓」の本拠地がこの北陸地方にあったし、「北日本」を冠している企業名も多いのだ。

しかしながら、このように「未明」や「北日本」の日本語の意味を気象庁が変えることができて、日本人がいつも耳にする天気予報やニュースで使われる言葉が、これによって変えられてしまうという由々しき結果を招いているのだ。そして、日本の国語行政を所掌する文部科学省は、これを黙認しているかのようだ。NHKも黙認しているようだ。むしろ、NHKはこれの共同正犯なのかも知れない。

そのうえ問題なのは、気象庁が規制する「予報用語」やその他の義務教育で使われる「用語」と、文科省が所掌する「国語」の整合性を図ったり、調整したりする機関がないことだ。日本にも、「国語」を監視し、護り、指導する独立した機関が必要である。日本語での表現や表記の基準を遵守するよう指導する機関が必要なのである。安全保障上も、外国からの圧力で日本語を破壊されてはならない。多くの独立国家が持っているような、これらの機能を持つ、独立した「国語センター」が必要である。

さらに、「国語」を神社仏閣や仏像や絵画と同列に論じるべきではない。文化審議会の一分科会に国語を審議させるなど、この国の国語行政は、心許(こころもと)ない。「国語」は、その国の文化の根幹であり、国民のアイデンティテイーの基礎をなす。国語には安定性と普遍性が求められるのだ。大正や昭和に習った国語の「未明」や「北日本」の意味と平成に習ったそれらの意味が違ってはならないからだ。また、天気予報で言う「未明」や「北日本」の意味と、天気予報以外の報道や日常会話で使うそれらの意味が違ってはならないからだ。

 特に「北日本」について言えば、世界には、大西洋からカリブ海にまたがってある「西インド諸島」など、実際のインドとはかけ離れた地域の呼称があり、また、「東南アジア」のインドネシアやシンガポール、マレーシアなどよりも北側の、インドやバングラディシュなどを指す「南アジア」という呼称があるのだ。その地域の呼称は文化の一部であり、その意味を大事にすべきである。

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未明と北日本から (その1)

日本語では、漢字や語彙が多すぎて外国人の日本語学習者には難し過ぎるから語彙や使用漢字を減らすべきである、などの外国からの意見や圧力で、日本語の語彙や漢字は減らされる方向に動いてきたように思える。

日本語は、外国人の日本語学習者のために有るのではない。また、日本語の表記についての基準は、日本語の外国語への翻訳を簡単にしたり、その翻訳ソフト開発を容易にしたりするためにあるのでもない。

ところで日本では、外国からの圧力により、日本語が大幅に制限されてきた時代があった。それは、米国の占領統治下にあった第二次世界大戦後の数年間である。全ての報道が検閲されてきた。メディアの報道は全て英語に翻訳し、NHKなどのニュース報道は事前検閲を受けてきた。それは、1951年にサンフランシスコ講和(平和)条約が締結されてからも、暫く続いた。

第二次世界大戦中は海軍中尉で情報将校として活躍し、戦後は駐留米軍の翻訳の仕事をしてきた人物を知っている。彼は、その後、外資系企業の法務部長を歴任し、弁護士に転進した。彼から、占領軍であるGHQの検閲のための翻訳にまつわる話をいろいろと聴くことができた。日本の米国による占領統治下では、報道用語が規制され、そこで用いられる日本語での表現が大幅に制限されてきたというのだ。

ところが現在でも、日本は、北は北海道から南は沖縄まで、米軍基地や米軍施設が134箇所もあるとされ、戦後64年も経過していながら、未だ(いまだ)に占領統治下であるような状況にあるのだ。そして、日本語での報道規制が敷かれているような現状がある。

それは日本の国土交通省の下部組織であり、その外局である気象庁が、「天気予報」で使う日本語を「予報用語」として規制し、解説の表現まで規制しているからだ。天気予報で報道が、冬日(ふゆび)に凛々しく輝く秀峰富士の姿を表現することすら規制している。日本語の叙述的表現に使う用語や字句、表現方法まで規制しているのだ。

また、気象庁は現在、気象に関する報道で、深夜午前0時を「夜半」と表現することを禁じて、午前0時から午前3時頃までを「未明」と表現するよう規制し、「夜半」や「夜半過ぎ」と表現することすら禁じているのだ。しかし、日本では「午前0時から午前3時頃」は、「草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)」を含む夜中であり、「未明」ではないだろう。日本語の元来の意味では、「未明」とは、「夜がまだすっかり明けきらない時」(広辞苑)である。つまり、朝方の「夜明け前」を含む、未だ暗い頃を言う言葉だ。そのうえ、「北日本」の意味も気象庁は変えてしまっているのだ。

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破壊工作と民主党マニフェストの瓦解の懸念

マニフェストの元来の意味は「宣言」、「宣言書」だ(参照:広辞苑)。これを選挙戦で掲げられた場合は、「政権公約」と訳す。民主党は、この夏の衆議院議員選挙で素晴らしいマニフェストを掲げて戦った。そして、多くの国民が、このマニフェストを評価し、民主党を支持した結果、民主党が圧勝したのだ。

 しかし民主党は、政権発足後やっと3か月を過ぎたところで、このマニフェスト破りを当然の如く行おうとしているようである。鳩山由紀夫首相は、きのう、ガソリン税等の暫定税率の撤廃をしないで、それを維持することを発表した。それより以前には、高速道路の原則無料化の公約を反故(ほご)にすることも発表している。

民主党は、なぜ、こうも簡単にマニフェストに違反することを行おうとするのであろうか。これでは、非常にイメージが悪い。マニフェストは選挙戦において掲げられた政権公約なのであるから、守ることが求められる。事情が違ったから、御免なさいでは、選挙のためだけにイメージ戦のために掲げられたキャッチコピーと変わらないことになってしまう。

 民主党は、どうしてこの政権公約を履行しようとする姿勢を見せられないのだろうか。これでは、国民は何を信じて政党を選べば良いのか戸惑うであろう。そして、次の選挙戦では、民主党には厳しい目が注がれるであろう。また、それでは民主党の小沢一郎幹事長の言動に対する批判と相俟って、メディアの民主党批判のターゲットとなってしまう。それは、民主党に対抗する勢力側にとっては、望むところであろう。

 これは、民主党がメディアの世論調査結果等や政権を組む他党の言動に踊らされている結果なのであろうか。財源論と政権公約の実行は、次元が違う問題である。政権発足後1年間は、公約実現が優先される政策課題ではないだろうか。普天間飛行場の移設問題も、先が見えない中途半端なままである。

高速道路料金の原則無料化は、世界の先進国の趨勢である。この原則無料化は、長い目で見れば結果的に日本の物流コストを押し下げ、コンクリートから人への投資を推し進める。これに危機感を抱くのは、日本の産業の国際競争力に恐れを抱く海外勢力も存在していることも、忘れるべきではない。今、民主党政権が推し進める日本の郵政の民営化の見直し路線に、意見を言い出す外国勢があるほどである。ここは、日本が繁栄したり、国力を蓄えたりすることに危機感を抱いたり、歓迎していない国家が多いという国際政治の現状を認識すべきだ。

 高速道路を原則無料化にすることは、高速道路の渋滞を招くという意見は、現在、土日、休日に高速道路料金の原則1,000円を実施しているということを考慮しない意見だ。平日も含めて原則1,000円にすれば、渋滞は分散し、緩和されるのではないだろうか。

一部の国民や産業界は、マニフェストに反しても良いというような意見を言ったり、税収が減るからとか、車を使用しないからとか言って、ガソリン税等の暫定税率は撤廃しなくても良いと言ったりするかも知れない。また、高速道路は利用しないので、無料化は必要ないと言うかも知れないし、財源確保のためには、高速道路の有料制は維持すべきだというかもしれない。そしてまた、これが国の財政にとって良いのではと言うかも知れない。

 しかし、そんなことは、マニフェストを掲げる前から分かっていたことである。今、ここで民主党にとって大事なことは、政権公約を守ろうとする姿勢を見せることだ。このままでは、メディアに叩かれ、国民の目線が厳しくなり、多くの国民の支持を失うことが目に見えている。

 民主党が、いかに正論を述べて、国政の健全な運営を模索していようとも、イメージの悪化は避けなければならないだろう。民主党は、メディア戦略が陳腐過ぎるのではないか。正論を述べても、多くの国民を説得することは困難であることは、民主党が長い野党時代を経験していて分かっている筈(はず)である。民主党は、記者会見やテレビの前での演出効果を、もっと考えるべきである。また、反対勢力に対するネガティブ・キャンペーンも排除すべきではないだろう。攻撃は最大の防御なのである。

そして、政府が子育て支援関連の給付金の支給、つまり子供手当てを支給するにも、所得制限は設けるべきである。それは、国民に所得の再配分機能を政府が行うという姿勢を明示することになるからだ。多くの国民は、民主党に格差是正の政策も期待しているのだ。ここは、たとえ政権公約実行に無駄な費用が掛かろうとも、民主党が公約を実行する姿勢を見せなければ、多くの国民は離反していくであろう。

民主党は、他の政党やメディアの術中に嵌って、国民の離反を招くべきではない。そして、この離反を期待している多くの対抗勢力が国内ばかりでなく海外にもあることを忘れてはならない。それらの対抗勢力は、破壊工作を弄しながら、民主党のマニフェストが瓦解していく様を期待して眺めていることであろう。民主党は、政権交代に日本の将来を託した多くの国民の期待を裏切らないように、土性骨(どしょうぼね)を据えて、マニフェストの実効性を確保する方向で、しっかりとやるべきである。

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使用漢字の制限と言語センター

「見る」と「聞く」は、人間の行動の原点だ。今、この2つの動詞につき、日本語では使用する漢字が制限され、表現が狭められている。欧米系の言語である英語やスペイン語などに比べても、その語彙が少なくなるように規制され、制限されているのが気懸かりだ。

(目で)「みる」という動詞に対応する日本語漢字としては。「見る」、「診る」、「観る」、「看る」、「視る」などが挙げられる。また、(耳で)「きく」という動詞に対応する日本語漢字は、「聞く」、「聴く」、「訊く」などが挙げられる。そして、それぞれの使用漢字からは、その動詞の意味が良く分かる。

英語でも(目で)「みる」は、See,Watch,Lookなどに区別されている。また、(耳で)「きく」は、Hear,Listen,Ask などに区別されている。ところが日本語では、この区別をあいまいにして、「見る」や平仮名の「みる」、そして、「聞く」にすべてを委ねているように思われるのだ。最近は、「聞く」では、耳を傾けて聞く場合には、「聴く」も使われるようになったが、これだけでは、まだまだその区別が足りないと思うのだ。「尋ねる」という意味の「訊く」という漢字も使用すべきだ。

この「きく」の漢字の使用を制限することは、日本語での表現力を減退させ、思考力を減衰させてしまう恐れがある。なぜならば、言語は、コミュニケーションの道具であるばかりではなく、思考の道具でもあるからだ。

「訊く」は、「尋ねる」という意味と「糺す(ただす)」という意味が含まれる。前者の「尋ねる」という意味では、英語で言えば、Askに対応する動詞である。道を「きく」場合に、英語では Hear や Listen は使わないだろう。また、先生が学生や生徒に「遅刻した理由を訊く」の「きく」は、「糺す(ただす)」という意味が含まれるのだ。ここには「訊く(きく)」がぴったりだ。

ここは、日本語でもしっかりと、「道を訊く」や「遅刻の理由を訊く」と書くべきであろうし、言葉に出して話す場合にも、この漢字「訊く」を念頭に浮かべて、質問していることを認識すべきであろう。また、そう訓練することによって、この「きく」には無意識の中に「尋ねる」ことや「糺す」ことの認識が生じる。

元来の「やまと言葉」に、表意文字である外来語の「漢字」を日本語に組み入れてきた日本の言語は、その表意文字が大きな領域を占めている。その使用漢字を制限することは、同音異義語が多い表意文字の世界で、思考の混同や混乱を招くことになりかねない。

また、漢字の使用を認めていながら、その「読み」の使用を制限することは、ナンセンスである。文末にくる「無い」や「有る」は、日本語の文の末尾で文意の結論を大きく左右する形容詞や動詞である。これを平仮名で「ない」や「ある」とするよりも、漢字で「無い」や「有る」とした方が一瞬で意味が伝わる。同様に、「覚えやすい」や「覚えにくい」は、「覚え易い」や「覚え難い」と漢字で表現すれば、一瞬の文字認識で確実に文意が伝わる。よって、従来からある「読み」によって漢字の使用を制限すべきではない。それは、その合理的な理由がないからだ。現在は、活版や写植の時代ではないのだ。

次に、「射撃」の「撃」」の漢字に似た「繋」という漢字についてである。この漢字は、「繋ぐ(つなぐ)」や「繋がる(つながる)」などのように、「つなぐ」という基本的な動詞を表す。よって、この漢字も使用を制限すべきではない。この漢字には糸偏が含まれるが、これは日本文化の発達と密接不可分に関連する糸の文化がもたらした漢字である。

この漢字については、「連繋プレー」などの意味が鮮明な語句がある。これは、「連係プレー」や「連携プレー」として表現するよりも、「繋がったプレー」ということで「連繋プレーとしたほうが、「繋ぎ」の野球が得意な「日本の野球」の表現にぴったりであろう。日本は、このところのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の二連覇も、この「繋ぎ」の野球で勝ち取ったのだ。

そして、日本語の漢字は、日本文化を薫り高くして、表現力豊かにし、「わび」や「さび」まで表現してきてくれたと思う。その漢字には、「薫り」と「香り」の違いや、「匂い」と「臭い」の違いも同音の中に一瞬の内に表現する力があるのだ。「鯉が遡上する」や「俎上の鯉」の「そじょう」も、音は同じでも、漢字が違えは、その意味は鮮明である。字句を見たり、考えたりすれば、その違いは一瞬にして知覚と思考の中に入っていくのである。

よって、漢字の使用の制限には慎重の上にも慎重であるべきであると思う。それは、ここに重ねて述べるが、漢字の使用を制限することは、表現力の減退ばかりでなく、思考力を減衰させてしまう恐れがあるからだ。現在、文部科学省の下部組織である文化審議会で使用漢字のアンケートをとっている。こんな部署で日本文化の重要な基礎を構成し、日本人としてのアイデンティテの重要な根幹をなしている「日本語」をいじらせるべきではないだろう。その国の言語政策は、安全保障にも絡む重要な課題なのだ。

主権国家の殆どは、自国の言語を監視し、守るために、独立した「言語センター」を持っているのだ。日本も、独立した国家機関としての「国語センター」を組織すべきであろう。そして、使用漢字の検証作業は、日本語表記の問題も踏まえ、そこでいろいろな角度から検討した上で、慎重の上にも慎重になすべきであろう。

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鳩山政権と米軍基地

 日本国内にある米軍基地や施設は、米国の不沈空母であるかのごとく、米国の意のままに利用され続けてきたように思える。日本国内における米軍基地と施設は、現在、合計で134箇所もあるとされているのだ。

 この米軍基地のうち、沖縄にある普天間飛行場の移設を、民主党は、この8月下旬に投開票が行われた衆議院選挙の際のマニフェストで公約している。

 米国の民主党のオバマ政権と日本の民主党の鳩山政権は、共に「チェンジ」を掲げて選挙戦を戦い、国民の支持を集め、政権に就いたのだ。その日本の民主党は、掲げたマニフェストに国民の多くの支持を集め、総選挙に大勝した。

 ところが今、日本の旧政権であった自公政権が米国と交渉していた内容で、この普天間飛行場の問題は、従来のまま妥結するように米国側は要求しているようにみえる。自公政権の負の遺産の後始末が民主党を中心とする政権に重くのしかかっている。新政権には、社民党も連立のパートナーとなっているから、なおさら舵取りが難しいだろう。

 しかし、日本の民主党は、日本における政権交代を実現させ、日米間の安全保障枠組み条約や地位協定についても、チェンジを模索しているのであるから、ここは独自の主張と路線で米国側と粘り強く交渉すべきであろう。岡田克也外務相や北沢俊美防衛相も、ここをしっかり認識すべきである。

この交渉には、「切望する」や「熱望する」、「強く望む」などの英単語を何度も使って、相手方に要求する必要があるのだ。交渉には感情表現が必要だ。なぜならば、心理学では「説得」は、「感情」の領域に分類されるからだ。これは単なる「理性」に基づく、理路整然とした論理だけでは「説得」ができないということである。日本人が外国人を相手にスピーチする場合に、これらの単語が極端に少ないのには危惧を抱くほどである。理論も必要だが、訴えがもっと必要だ。

 もしここで、鳩山政権が折れて、従来の既定方針を踏襲するようなことがあれば、今後、米国との交渉は一歩も進まなくなる恐れがあるだろう。新政権であればこそ、チェンジを掲げて、米国側と粘り強く交渉すべきである。先日、来日したオバマ大統領も、来日中に行ったスピーチの中で、日本が米国の対等なパートナーであると認め、新政権となった鳩山政権が、この問題で米国と再交渉をすることを当然のこととして受け止めているのだ。

交渉とは英語ではネゴシエーション(negotiation)である。これには、「(難所、困難を)うまく切り抜けること」という意味もある(ジーニアス英和辞典)。したがって、沖縄の基地問題が最初から結論が決まっていたのでは、交渉にはならない。鳩山由紀夫首相が、日米の閣僚級の作業部会について、メディアの前で語ったという「答えが決まっている作業部会を作る意味はない」との意見表明は当然だ。

昨今の日本を取り巻く東アジアの情勢は、第二次世界大戦終結後と大きく違って、中国の核武装と軍事大国化や覇権主義への傾斜、そして、北朝鮮の核武装などの大きな環境変化がある。日本は、現実の国際情勢を踏まえた安全保障と防衛力の再構築が必要だ。

来年は、米国との間の安全保障条約締結50周年を迎える。第二次世界大戦後65年も経過しながら日本全国に134箇所もの米軍基地を温存させていれば、日本の安全保障が米国頼りになっていることの是正が必要である。この時宜にあっては、日本の安全保障と防衛問題を再検証し、しっかりとした防衛政策と外交政策を遂行してもらいたいものである。

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米国と日本の軍備と平和国家

 日本は、最近中国が東シナ海のEEZライン(排他的経済水域境界線)付近を実行支配し始め、ガス田の採掘基地を設け、それを採掘し続けているが、この由々しき事態を阻止できないでいる。中国による事実上の日本領海の侵犯が続いているのだ。

 これに対し、日本政府は、中国が明らかに日本側に越境していると判断される地域の開発には、中国に譲歩案を提示し、共同開発することを提案して条約締結を働きかけたが、中国はこれを無視し続けている。

 なお、天然ガスなどの地下鉱脈は、境界付近に留まらず、他国側に深く入っている場合がある。しかし、中国はこれにも配慮することをせずに、日本政府の抗議を無視して、天然ガスを採掘し続けているのだ。

 この問題に関しては、米国も他人事であり、米国に日本を擁護するという姿勢は感じられない。ここには日本と米国との安全保障の取り決めが機能していないのだ。戦後60年以上も経てから、他国から実質的な日本領海の侵犯を許さざるを得ない状況に立ち至っているのは、何が原因しているのだろうか。民主党の鳩山由紀夫総理大臣や岡田克也外務大臣にも頭の痛い問題であろう。

 ところで、日本と米国との安全保障の取り決めでは、米国は日本の安全保障に「寄与」するとしている。「寄与」とは「貢献」と同意義語であり、慈善事業者がその目的に使う「貢献」と同義である。

 ここで確認しておかなければならないのは、米国は、戦後64年も経ていながら、現在、日本国内に米軍基地やその他の米軍施設を総計134箇所も存在させているという事実である。また、そうでありながら、日本の安全保障への加勢は米国の「義務」ではないという事実なのだ。これは長い間政権与党についてきた自民党政権下では、放置されてきた問題だ。

 さらに問題なのは、今の米国には、中国に嫌われてまで日本の安全保障に「寄与」することなどは考えられない、という現状である。それは、現在の景気低迷する米国には、中国に敵対できないほどの、中国に対する経済的な深い依存関係があるからである。今、大量発行済みの米国債の最大の保有国は、中国なのだ。

 以上のような日本を取り巻く国際社会の現状を考えるならば、日本は、安全保障政策を再構築することが必要であろう。それにはまず、防衛力を行使することや、自衛のための装備を整えることの足枷(あしかせ)となっている日本国憲法第9条を改正すべきであろう。

 なお、日本国憲法の改正は、その全面改正を考えるから難しくなるのであるから、部分的な修正条項として改正すべきであろう。これは、アメリカ合衆国憲法が、初期に制定された憲法を生かしながら、アメンドメント(修正条項)を加えながら、現在に適応させている例を習うべきである。

 すなわち日本は、平和国家を目指し、戦争の放棄を模索してきた日本国憲法の主旨を生かしながら、自衛のための戦争と紛争解決のための武力の行使、および国際社会における共同安全保障のため、また、集団的自衛権の行使のためには、軍隊を使用することの必要性を認め、これらを日本国憲法の修正条項として正面から認めていく必要がある、と考えられるのである。

 そして、日本も国防力を誇示して、他国からの侵略や侵害を未然に防ぐ備えとしたい。さらに、これをもって日本国内の米軍基地を縮小させ、その撤退を促すための条件整備としたい。

 そのうえ日本は、国際社会における平和国家、日本の立場を鮮明にして、国連の平和活動にも自衛隊を堂々と派遣できるように法令を整備すべきである。現在の国際社会では、秩序を維持し、治安と平和を確保するためには、丸腰では困難である。

 日本の政府機関やNGOなどが、海外で活躍するにも、安全と平和の確保は重要である。このためには、その活躍の背後に控える武力の行使をも辞さない警察権的な強制力が必要だ。ここには自衛隊を活用するのが有効な手立てであろう。

 そのためにも、それ相当の戦力の保持と、堂々と武力が行使できる環境整備をすることが必要であろう。ここは、民主党と中心とする与党政権の政策実行の力の見せ所である。なお、この政策実行には、国民を説得することも含まれるのだ。

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前原大臣に突きつけられた踏み絵と実行力

 民主党の前原誠司国土交通省が、八ツ場ダム中止でぶれない姿勢を貫いているのは、素晴らしいことだと思う。今、民主党を中心とする政権には、反対勢力からの切り崩しの陰謀と、踏み絵を迫ろうとするかのような策謀が、蠢(うごめ)いているように思えるからだ。

 関東の6都県の知事が、こぞって八ツ場ダムを視察し、ダム工事中止の撤回要請を行ったことが、メディアで報道されているが、これはパフォーマンスが行き過ぎているのではないか。200年に一度の大水害を想定して、ダムを造れとは大げさすぎる。過去に被害が出たカスリーン台風レベルの豪雨の想定であれば、遊水池を整備し、人為的に氾濫平野を造ることなどで、治水機能は大幅に増加する。また、既存のダムの浚渫(しゅんせつ)や河川改修でも治水機能は改善する。

それよりも、八ツ場ダムを造ろうとしていた地域の吾妻渓谷付近は、近くにある浅間山が過去に大噴火を繰り返したことから、噴出した火山礫や火山弾の堆積層が厚いことが心配されているのだ。それは、一部の地質学者も指摘しているように、多孔質の火山性噴出物は、水を遮断する力が極端に弱いということに心配の原因がある。

したがって、ここに巨大ダムを建設した場合に、ダム底にかかる巨大な水圧が災いして、大量の水がダム湖底を通過し、付近の地層や地下水脈や湯脈にどのような影響を与えるかが未知数であるということなのだ。それは、ダムを造った後で、ダム湖底からの水が、思わぬところから噴出するなどして、付近の住民にとんでもない被害が出ることすら想定されるということなのだ。そこには、マグマ溜まりと地下水脈の接触による水蒸気爆発の危険性も想定される。

そして、この地域には、今でも火山活動が活発な浅間山が近くにあることから、200年に一度の大地震や浅間山の火山の大爆発による被害のほうが、遥かに危険度が高いと想定されることだ。大地震により、軟弱な山体が崩落し、これに伴って大量の水を貯えた巨大ダムが崩落して、かえって大水害を惹き起こすことまで想定されるのだ。そのうえ、火山の噴出物がダム湖を埋め、ダムの治水利水の機能が完全に失われてしまうことすら想定され、その機能喪失後に、泥流が発生すれば、下流域の住民に甚大な被害をもたらすことすら想定されるのだ。

吾妻渓谷の美しい自然を破壊し、巨額の資金を投じて、こんなにリスキーな八ツ場ダムを造る必要はどこにあるのであろうか。今まで、国の方針でダム計画を実行してきたということは、今までの話である。ここには、新たに民主党を中心とする与党政権が誕生したのである。政権が変わった以上、従来の計画は撤回し、新たな治水利水の方策を模索することに何らの不都合は無いのではないか。

 八ツ場ダムの建設中止は撤回することなく、この地域には吾妻渓谷の自然の景観を生かした地域の活性化をはかるべきであろう。温泉源は、ダム湖に沈めることなく、有効に生かせる。そして、この地域に別荘地や保養施設などを造ることや、今、流行(はやり)のクライン・ガルテンなどの滞在型市民農園を造ることなどで、積極的な観光誘致が考えられる。また、巨大ダムが中止になったという話題性を生かして、多くの都市部の住民を呼び込むこともできるであろう。

民主党の前原国土交通相には、ここは踏ん張って頑張ってもらいたい。ここには、ぶれない政策の実行に踏み絵を突きつけられていると考え、ひたぶるに実行力を行使することが求められていると思うのだ。

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バリ島の邦人女性の半裸殺人事件(その3)

先月28日に発覚したバリ島の邦人女性半裸殺人事件は、世間の耳目を集めた。特に海外旅行を趣味とする人たちには、海外旅行のリスクとして、海外の治安状況が憂慮すべき事態であることが分かるキッカケとなった。そこでは、日本ではメディアに取り上げられることがなかった性犯罪や強盗被害が、この他にも沢山あることを際立たせたのである。

それは、インドネシアのバリ島は、比較的治安が良いと喧伝(けんでん)されてきたから特にそうであった。旅行会社の宣伝(せんでん)では、「リゾート地の開放的な雰囲気漂う、南国の楽園バリ島」であろうが、実際は遥かに日本より治安が悪いことが分かったのである。日本人女性の性的被害や昏睡強盗被害が極めて多いと言うことが分かったのだ。

そして、この事件について、現地の在外公館である在インドネシア日本国大使館と在ジャカルタ日本国総領事館の共同のホームページ(HP)で注意喚起の情報を発出した。

また、同内容は、外務省の海外安全ホームページからも検索できる。その注意喚起は、第1回目は犯人が逮捕される前の9月30日と、第2回目は犯人が逮捕された後の10月8の2度に渡るのだ。

その情報やその他のメディアによる情報を総合すると、今回のバリ島の半裸殺人事件は、警察官の服装をして、警察の身分証明書を提示し、ホテルの従業員により被害者女性の部屋まで案内された犯人により、女性は宿泊先ホテルから連れ出されたことになる。そして、被害者女性と同室の友人女性も同じ犯人から、その被害者女性が連れ出される少し前に宿泊先ホテルから連れ出され、暴行に遭い、全裸のままで近くのホテルに飛び込み、すんでのところで難を逃れたと言う。その後、犯人はその宿泊先ホテルに戻り、被害者女性を連れ出し、同様の犯行を繰り返した。

しかし、これに対する旅行客側からの防備や注意とは、一体どこまですれば良いのであろうか。2回目の注意喚起の情報を眺めながら考えさせられてしまった。それは、2回目の注意喚起情報を良く吟味してみれば分かるが、今回の事件を防ぐのは、殆んどお手上げ状態であると思うからだ。

また、バリ島には、日本人の若い女性達を狙って、ビーチボーイと言われる若い男達が数多く暗躍し、親しげに日本語で語りかけ、言葉巧みに誘いかけてくるという。若い日本人女性に性的被害や強盗被害が多いと言うのだ。それは、日本人女性が集団で深夜のナイトクラブやディスコに出かけていても、飲み物や食べ物に睡眠薬などの薬物を仕組まれ、性的被害や昏睡強盗の被害に遭っていると言うことまで伝えられているのだ。そこでは被害者が抵抗できない状態で犯罪被害に遭っているのだ。そこには、エイズ(HIV)などの性感染症の恐れも出てくる。知らない間に感染させられている懸念があるのだ。

ここには、こんな治安の悪いバリ島を楽園の如く宣伝して、犯罪被害の多発を招いてきた日本の旅行社にも、大きな責任があるであろう。また、日本の海外旅行業を監督する立場の国土交通省や、海外の邦人を擁護する立場の外務省も、今までバリ島で、若い日本人女性を狙った犯罪被害が多発していたのを等閑視していた責任があるであろう。

日本人女性は、彼らにとっていいターゲットなのであろう。それは、犯罪被害に遭っても、面倒を恐れ、加害者を追求することなく、泣き寝入りしてしまうからだ。日本人は、海外に出かけた場合に、言語的な不自由さから、自己主張したり反論したりすることに消極的になったり、脆弱(ぜいじゃく)になってしまう。しかし、これでは犯罪者達にやり得を許し、かえってその後も犯罪が多発するという条件を与えてしまう。

今回の半裸殺人事件は、警察官を装う26歳のインドネシア人の男による日本人女性に対するレイプと強盗、そして殺人事件である。日本であれば、強盗強姦殺人であり、罪状が極めて重い。この事件は、もっと真相を追究し、検証の上、強く注意喚起する題材とすべきであろう。そして、このような犯罪被害で泣き寝入りしない方策を講じるべきであろう。

しかし、日本の旅行業界や外務省は、この事件に早めの幕引きを図ったのであろうか。被害者女性の遺体は、現地で9月28日に発見されてから、10月1日には荼毘(だび)に付され、日本時間の10月2日には、遺族に付き添われ、成田に到着しているのである。この事件は、そう簡単に幕引きを図るべきではない。さらなる調査と追求が必要である。

日本の国土交通省や外務省は、この事件の背景にある旅行業者の宣伝内容や現地の治安状況を検証し、二度とこのような被害者を出さないために、現地国政府、そして日本の旅行業界に強く働きかけるべきである。

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東京の2016年五輪開催の落選

 北欧の国、デンマークの首都コペンハーゲンで、日本時間の10月2日夕方から、2016年夏季オリンピックの開催都市を選択する選挙のための各国のプレゼンテーションが行われた。鳩山由紀夫総理の演説も素晴らしかったし、石原慎太郎東京都知事のパフォーマンスも素晴らしかった。そして、3日に日付が変わった夜半過ぎにその選挙が行われた。最終審査で残っていた立候補都市は、東京、シカゴ、マドリッドとリオデジャネイロの四都市だ。

 あいにく日本は落選し、当選したのは南半球の国、ブラジルのリオデジャネイロだ。南米大陸で初の開催都市である。南半球の国は、北半球の日本などが冬を迎える時に夏を迎える。したがって、夏季オリンピックと言うからには、北半球が冬でない時期に五輪競技が行われるのであろう。

 リオデジャネイロは、リオとも言われ、夏はサンバのリズムも賑やかなカーニバルの季節だ。世界各国から観光客がここを訪れる。ブラジルは、かつてポルトガルの植民地であったため、国語はポルトガル語だ。中南米のほとんどの国がスペイン語を国語としているのとは対照的だ。

 そして、ブラジルは、かつて日本からの移民を数多く受け入れため、日系人も多く、日本とは関係の深い国だ。果たして、リオデジャネイロは、どんなオリンピックを見せてくれるのだろうか。今から楽しみである。

 一方、東京は、その次のオリンピック開催を目指すべきであろう。去年、東アジアの北京で行われたばかりの夏季五輪が、2016年に同じ東アジアの東京で開催されるとすることには、多くのIOC委員にとって、北京五輪と時間も地域も近接しているように思えたのではないだろうか。

西欧諸国で利用されている大西洋を中心とする世界地図では、日本は、右上隅のファーイースト、つまり極東にあり、中国はその隣国だ。去年開催された北京と同じ東アジアに位置する国、日本で、2016年の夏季オリンピックが開催されるとするのには、IOC委員の多くの賛成を勝ち得るのは難しかったであろう。

だとすれば、東京はその次の2020年の開催を目指すべきではないか。先が長い話であるが、今から準備すれば、万端が整う。そして、今から世界のIOC委員に対するイメージアップを図っていくべきである。また、国民世論も盛り上げていくべきである。

東京都知事の石原慎太郎氏は、立候補都市、東京の落選を悲嘆すべきではない。これを次へのステップの礎(いしずえ)と見るべきである。

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