外国語を勉強することは、母語(日本で育った人であれば日本語)をより深く理解するのに大変役立つ。これは、それぞれの言語の文法や品詞、格の変化などの違いを、比較しながら学習することができるからである。そして、その言語の比較から、その言語が使用されている地域の文化にも思考を巡らせることができる。
ところで、日本語には、「聞く」という動詞がある。英語では、これに対応する単語は何であろうか。普通は、”hear”や”listen”が思い浮かぶであろう。これは、日本語の「聞く」の「聞」という漢字の意味から連想するとそうなる。
しかし、「駅への道をきく」とするとどうなるであろうか。今の日本語の一般的な表記では、この「きく」も、漢字を用いると「聞く」となる。しかし、この「きく」は、「尋ねる」、つまり、「質問する」という意味なのだ。とすると、英語では、この「聞く」は、普通は、”ask”となる。したがって、「駅への道を聞く」は英訳すると”ask the directions to the station”となるであろうか。
かつては、日本語表記として、この「きく」という動詞に対応する漢字として、「聞く」のほかに、「聴く」や「訊く」があった。今でも、「聴」という漢字は使われるが、一般には「視聴」や「聴聞」、「聴取」などの音読みの字句として、である。この「聴く」は、耳を傾けて「きく」場合に使われていた。また、「訊」という漢字は、今では、「審訊」や「訊問」など、司法行政関連のテクニカルタームの字句としてしか使われていないようである。そして、この「訊く」は、ものごとを尋たり、質問したりする場合に使われていた。
しかし、英語では、この日本語の「きく」という動詞に相応する単語として、”hear”や”listen”、”attend”、”ask”などがあり、きちんと区別して使われているのだ。これらは英和辞典と和英辞典に当たって調べてみるとよく分かる。また、「注意して聞く」には、”pay attention to ~”がある。飛行機の機内アナウンスでよく耳にする「アテンション・プリーズ」も、「注意して聞いてください」という意味の呼びかけである。そして、英語のほかの西欧系言語でも、これらを使い分けて、はっきりと区別しているのだ。
とすると、日本語でも、自然に「聞く」場合や、ラジオを「聴く」場合、遅刻した理由を「訊く」場合には、これらの漢字を当てて、きちんと区別して使ったほうがよいであろう。最近、「音楽を聴く」場合や「ラジオを聴く」場合には、「聴く」が使われるようになってきた。そうであるならば、「道を聞く」場合や「理由を聞く」場合にも、きちんと「尋ねる」という意味を含んだ漢字「訊」を当てて、「道を訊く」や「理由を訊く」と表現すべきであろう。
言語とは「コミュニケーションの道具」であるばかりでなく、「思考の道具」でもある。したがって、この動詞「きく」の意味は、「思考の回路」の中できちんと区別しておく必要があるであろう。だとすると、この西欧文化の中でも区別されて使われている「きく」という動詞に対応する日本語が、小学生から学ぶ漢字の中で、単一の表記に制限され、日本語として区別して使われるのを制限されることは、予期せぬところで日本人の思考能力を減衰させる結果になっているのではないか。たいへん危惧されるところである。
また、これは、「きく」という動詞に限ったことではない。他に使われている表現方法や語彙、漢字でも同じことが言える。
例えば、表記された字面(じづら)を見ても、「コイが川をそ上する」や「そ上のコイ」、「まないたのコイ」とするよりも、「鯉が川を遡上する」や「俎上の鯉」、「俎の鯉」としたほうが、視覚的にも一瞬で、すっきり意味が伝わるであろう。つまり、字面からの思考がくっきりと、かつ、はっきりとするのである。
すなわち、言語は「思考の道具」なのでもあるから、伝統的に使われている日本語の語彙や表現を意図的に減少させたり、使用される漢字を減少させたりすることには、抑制的であり、慎重の上にも慎重でなければならない、ということである。むやみに日本語を減少させたり、その使用を制限したりして、日本語での表現力や思考力を減衰させる結果を招くべきではない。
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