カテゴリー「学問・資格」の記事

原発事故と英会話のヒヤリングの練習

 英会話のヒヤリングの練習に、次のインパクトの強い福島原発事故の4号機の燃料プール倒壊の危機についてのYouTubeの映像を視聴してはどうだろうか。

 聞き取れなかった場合には、繰り返し再生し、聴くことができる。

福島原発 4号機倒壊したら核燃料溶融飛散!18万人死亡想定:米国立研究所

http://www.youtube.com/watch?v=uB7w7EftEu0&feature=related

 次に、英語の発音は、米国人のだけではなく、ロシア人のも、オーストラリア人のも、そして、イギリス人のもある。それぞれ、微妙に訛りがある。これを聞き取るのも実践英会話としては、重要な練習である。そこで、次のYouTubeの映像もお勧めだ。

福島原発事故の現状:アーニー・ガンダーセンがロシア報道番組で語る

http://www.youtube.com/watch?v=OPt_SeERFsM&feature=related

最後に、原発事故は、老朽化したことによって起きるだけではない、ということが述べられている日本語でのYouTubeの映像だ。京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生へのインタビューで語られている内容だ。

これを英訳できたら、あなたの英語力は相当なものである。一部でもいいからチャレンジしてみたらどうだろうか。ぜひ、お勧めしたい。

20120109 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

http://www.youtube.com/watch?v=wvgs2R4Raio

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師走と雪形

「今日から師走(しわす)」と新聞やテレビで報じられたのは、一昨日だ。師走も今日で3日になってしまった。これからは、「あと幾つ寝るとお正月」となっていくのだろうか。

陰暦の月の呼び方として、12月が師走とされるのには、特別な意味を感じる。師走の語源は、定かではないが、師匠のお坊さんも走り回るほどの忙しい月であるという説がある。陰暦の月の呼び方やその由来をあまり知らなくても、師走が12月であるのは一般に知られていることであろう。1月の睦月(むつき)からはじまった1年も、12月の師走で終わる。

「むきやうさ、みふはなかしし」。これは、古文の学習で陰暦の月の名前を覚えるのに使った語呂だ。なんとなく意味がありそうな響きであるが、格別な意味は無い。しかし、覚えやすくて便利だ。これは、睦月(むつき)、如月(きさらぎ)、弥生(やよい)、卯月(うづき)、皐月(さつき)、水無月(みなづき)、文月(ふみづき)、葉月(はづき)、長月(ながつき)、神無月(かんなづき)、霜月(しもつき)、師走(しわす)の読みの頭1文字を並べたものだ。最後の「しし」と「し」が二つ連なるのは、最後が「師走」であるから、その前は「霜月」となるので、何らの混乱はないだろう。

陰暦の月の名前は、受験のためにだけではなく、教養として覚えておくと便利だ。これは、博物館や記念館などなどを訪ねると、よく「古文書」に接する機会があるからである。これを知っていれば、古文書に「文月廿日」とあれば、旧暦の7月20日であることが分かる。(※「古文書」の読みは「こもんじょ」であり、「こぶんしょ」と読むのは間違いであるので注意。「公文書(こうぶんしょ)」の読み方につられないように!)

ところで、陰暦とは太陰暦ともいう。この暦は、月の動きを基準としていたため、太陽暦とは違って、月の名前と季節にずれが生じた。閏月(うるうづき)があると、1年が13箇月であることもあった。そこで、陰暦が示す季節的な移ろいを補完するものとして二十四節気が編み出された。

しかし、陰暦と同様に中国から輸入された二十四節気も中国での事象を基にしていたため、日本ではストレートには馴染まなかった。そこで、その不便さを解消するために日本独自の「雑節」が編み出されたという。「雑節」とは、八十八夜(はちじゅうはちや)や半夏生(はんげしょう)や二百十日(にひゃくとうか)などである。『茶摘(ちゃつみ』の歌にある「夏も近づく八十八夜」は有名である。この八十八夜は、野にも山にも若葉が茂る頃合いだ。

独自の農耕文化を育んできた日本では、各地で農事暦が作られたり、農歳時記が書かれたり、また、山腹の雪形(ゆきがた)を見たりして、農作業の頃合いを見計らってきたという。これらに関し、各地に伝わる「雪形」を調べたり、雑節などと農事との関連などを調べたりして、研究してみるのも面白いだろう。

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就職試験のインタビュー

  外資系企業や多国籍企業の日本法人などに就職するときの面接試験は、英語で行われることある。この面接を英語では一般にインタビュー(Interview)という。

 このインタビューをクリアーするには、TOEICで高得点を獲得していても、困難である。それは、自分の考えを、相手の質問に応じて英語で表現しなければならないからである。

 TOEICのように聞くことに重点を置いた学習方法では、英語ばかりでなく、その他の言語でも、コミュニケーション能力は身に付かない。この能力を養うには、実際に会話や対話を通じて、相手と意思の疎通を図れるようになっておく必要があるのだ。

 これを痛感させるニュース報道があった。それは、日本に13年も、14年も住んでいながら、日本語に不自由なブラジル人が大勢いることである。

 名古屋地区で、日系人の子孫として永住者の資格で住んでいる人たちだ。自動車関連の製造工場で、非正規雇用で働いていたが、不況のため職場を追われ、住居を追われた。

 他の仕事を探そうとしているが、日本語をほとんど話せないため、就職が難しい状況に置かれている。日本での長い生活の中では、仲間内の言語であるポルトガル語で事が済んでいたため、日本語で話す訓練をしてこなかったのだ。

これが災いして、日本語がほとんど話せない。しかし、相手が話している日本語は、大体の内容を理解できるのである。

 このことが如実に示すのは、日本語であれ、英語であれ、また、ポルトガル語であれ、言語というものは、聞いて分かるだけでは、コミュニケーションが図れないということである。

 したがって、コミュニケーションの手段としての言語に習熟するには、発話の練習、特に対話(ダイアローグ)の練習が、聞くことの練習と同等以上に大事であるということだ。

 今、TOEICや大学入試センター試験のために、英語の聞くことだけの練習に励んだり、それを中心に努力したりしている学習者が多いと聞く。しかし、日本人が英語に習熟するなら、実用英語技能検定、つまり、英検の上級を目指したほうが良いであろう。

 なぜならば、TOEICやセンター試験のヒヤリングは、聞くことに重点を置いた試験であるが、英検は、上級になると会話のテストもあり、実際のコミュニケーションの能力を試すテストとなっているからである。

 冒頭のインタビューをクリアーするには、英検準1級ぐらいは取っておいたほうがいいであろう。

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日本語での表現力と思考力を減衰させるな!!!

外国語を勉強することは、母語(日本で育った人であれば日本語)をより深く理解するのに大変役立つ。これは、それぞれの言語の文法や品詞、格の変化などの違いを、比較しながら学習することができるからである。そして、その言語の比較から、その言語が使用されている地域の文化にも思考を巡らせることができる。

ところで、日本語には、「聞く」という動詞がある。英語では、これに対応する単語は何であろうか。普通は、”hear”や”listen”が思い浮かぶであろう。これは、日本語の「聞く」の「聞」という漢字の意味から連想するとそうなる。

しかし、「駅への道をきく」とするとどうなるであろうか。今の日本語の一般的な表記では、この「きく」も、漢字を用いると「聞く」となる。しかし、この「きく」は、「尋ねる」、つまり、「質問する」という意味なのだ。とすると、英語では、この「聞く」は、普通は、”ask”となる。したがって、「駅への道を聞く」は英訳すると”ask the directions to the station”となるであろうか。

かつては、日本語表記として、この「きく」という動詞に対応する漢字として、「聞く」のほかに、「聴く」や「訊く」があった。今でも、「聴」という漢字は使われるが、一般には「視聴」や「聴聞」、「聴取」などの音読みの字句として、である。この「聴く」は、耳を傾けて「きく」場合に使われていた。また、「訊」という漢字は、今では、「審訊」や「訊問」など、司法行政関連のテクニカルタームの字句としてしか使われていないようである。そして、この「訊く」は、ものごとを尋たり、質問したりする場合に使われていた。

しかし、英語では、この日本語の「きく」という動詞に相応する単語として、”hear”や”listen”、”attend”、”ask”などがあり、きちんと区別して使われているのだ。これらは英和辞典と和英辞典に当たって調べてみるとよく分かる。また、「注意して聞く」には、”pay attention to ~”がある。飛行機の機内アナウンスでよく耳にする「アテンション・プリーズ」も、「注意して聞いてください」という意味の呼びかけである。そして、英語のほかの西欧系言語でも、これらを使い分けて、はっきりと区別しているのだ。

とすると、日本語でも、自然に「聞く」場合や、ラジオを「聴く」場合、遅刻した理由を「訊く」場合には、これらの漢字を当てて、きちんと区別して使ったほうがよいであろう。最近、「音楽を聴く」場合や「ラジオを聴く」場合には、「聴く」が使われるようになってきた。そうであるならば、「道を聞く」場合や「理由を聞く」場合にも、きちんと「尋ねる」という意味を含んだ漢字「訊」を当てて、「道を訊く」や「理由を訊く」と表現すべきであろう。

言語とは「コミュニケーションの道具」であるばかりでなく、「思考の道具」でもある。したがって、この動詞「きく」の意味は、「思考の回路」の中できちんと区別しておく必要があるであろう。だとすると、この西欧文化の中でも区別されて使われている「きく」という動詞に対応する日本語が、小学生から学ぶ漢字の中で、単一の表記に制限され、日本語として区別して使われるのを制限されることは、予期せぬところで日本人の思考能力を減衰させる結果になっているのではないか。たいへん危惧されるところである。

また、これは、「きく」という動詞に限ったことではない。他に使われている表現方法や語彙、漢字でも同じことが言える。

 例えば、表記された字面(じづら)を見ても、「コイが川をそ上する」や「そ上のコイ」、「まないたのコイ」とするよりも、「鯉が川を遡上する」や「俎上の鯉」、「俎の鯉」としたほうが、視覚的にも一瞬で、すっきり意味が伝わるであろう。つまり、字面からの思考がくっきりと、かつ、はっきりとするのである。

 すなわち、言語は「思考の道具」なのでもあるから、伝統的に使われている日本語の語彙や表現を意図的に減少させたり、使用される漢字を減少させたりすることには、抑制的であり、慎重の上にも慎重でなければならない、ということである。むやみに日本語を減少させたり、その使用を制限したりして、日本語での表現力や思考力を減衰させる結果を招くべきではない。

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日本語教師は、低収入で非常勤が多い!

    日本語教師という職業を取り巻く現状は厳しい。きのう(8月24日)、朝日新聞東京本社・朝刊第13版第3面の中央部分に『低収入・非常勤「生活できぬ」』の見出しで、日本語教師の現状を解説する記事が載った。あるアンケートの結果、「常勤者だと平均月給は21万1千円」とある。また、『自由回答には「家族は養えない」「国のバックアップが必要」といった訴えが並ぶ』、とある。うなずける内容だ。

なぜ、こうも日本語教師の世上の評価が低いのであろうか。それは、日本語教師が労働市場では供給過剰状態のうえに、そこには、日本語教師を養成する機関が日本語教師を雇う機関を兼ねている、という構図があるからである。その機関は、多くの場合、文部科学省が所掌する学校教育法上の学校ではなく、利益追求を第一義と考える株式会社である。英会話学校で有名だったNOVAは倒産したが、そのNOVAも株式会社であった。

外国人のための日本語学校を開設している株式会社が、日本語教師の養成講座を開設し、そこからも利益を得ようとしている。したがって、そこに日本語教師として雇われても、自分の利益(給料)を高額で得ることは、困難であろう。まして、日本語教師から教えられる側の外国人は、日本よりも給与水準が低い地域から来ている人たちが多いのである。そんなに高額の授業料は支払えない人たちが多いのだ。

これから日本語教師になろうとする人は、ここは、じっくりと考える必要がある。

ワーキング・プアを押してまで、日本語教師になりたいかどうか、また、それを押して続けられるかどうか、をである。

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北京オリンピックでの日本の無口さ!?

北京オリンピックを見ていると、いろいろな競技で、ジャッジの不正とも思われる、日本に不利な判定が数多く出ているように思える。これは、日本を応援するAkkiiの気持ちがそう思わせているのであろうか。否、同じような意見を持つ日本人が多いのではないだろうか。

テレビの北京オリンピックの放映では、アナウンサーや解説者は、抑え気味に、あまりジャッジに対する不平不満を言わないようにしているようである。しかし、あまりにも目に余るシーンが多々あるように感じるのだ。

これは、日本に対する世界からの評価や批判が背景にあるのであろうか。日本人は、世界の人たちに対し、自分の考えや意思、感情を表現することが下手で、抗議したい事柄の理由付けすら、うまく表現できていないのであろうか。あまりに見え見えの不公正なジャッジには、日本は理由を付して抗議し、反論すべきである。

英語を始め、世界の大多数の言語でのコミュニケーションでは、理由付けが大事である。相手の話している言葉の意味を理解できただけでは、コミュニケーションは成り立たない。そこには、自分の考えや意思、感情を上手く表現できて、なぜそう考えるのか、また、なぜそう思うのかを、必要に応じて表現できなければならない。

そして、言語は、聞いて理解できるだけでは、その言語を使って、会話としての発話をすることができないのだ。これはAkkii が、ブラジルから来ているポルトガル語を母語とする人たちに日本語を教えていて、特に感じたことである。彼らには、4、5年も日本に住んで、仕事をしていながら、日本語の簡単な会話もできない人が多かったからである。日常の中では、仲間内の言語であるポルトガル語で大体の用が済んでしまう。そして、日本人が話している日本語は、大体理解できるのである。

しかし、彼らが、一歩日本人の中に入ると、道を聞きたくても道も聞けない。スーパーで物を買いたくても、その物がどこにあるのかも聞き出せない。そのうえ、タクシーに乗っても行き先や降りる場所も、日本人に通じるように表現できないのである。したがって、最寄りの駅からタクシーに乗って自宅に帰ることすら、尻込みしている状態であった。

つまり、このことが物語るのは、会話とは相手の話を聞いて理解できるだけでは、始まらないということである。すなわち、言語を習得するには、発話の練習も大事であるということなのだ。

今、大学入試では英語のヒヤリングが重視されている。しかし、同様に、会話での発話力、表現力も重視する必要がある。つまり、スピーキング、特に対話(ダイアローグ)を重要視しなければならないということである。

そうでなければ、世界中からいろいろな注文を押し付けられ、無理難題を吹きかけられながら、その意味は分かるが、反論できない日本人が量産されてしまう懸念があるからである。

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北朝鮮による日本語教師の拉致

北朝鮮が、日本人を拉致して、北朝鮮の奴隷としている目的は、工作員の養成のための日本語教師として使ったり、日本語の情報を朝鮮語に翻訳したりするための情報機関員として使ったりするためだった。これは、大韓航空機爆破を行い、自殺未遂で助かった北朝鮮工作員、金賢姫の口から、日本人拉致被害者、田口八重子さんから日本語を習い、日本人化教育を受けたということが分かり、発覚した。また、20代で拉致されて40代後半で帰還した地村さん夫妻や蓮池さん夫妻などの北朝鮮内での生活の話などからも分かった。その田口八重子さんは、幼子2児を残したままで拉致され、いまだに北朝鮮で拘束されている。

ここで特に問題なのは、北朝鮮はその目的を遂行するために、日本人拉致事件が頻発した約30年以上前と同様に、その後も多くの日本語教師を必要とした。そして、今でもその状況は変わらないと考えられる点である。つまり、その後も日本人に対する拉致、誘拐は繰り返されていたのではないかという疑念があるのだ。日本各地で行われているボランティアの日本語教室や日本語教師養成学校などを通して、北朝鮮の工作員やその協力者の策謀の下に、「日本語教師」の志望者が狙われていたこと、また、現在でも狙われていることは、想像に難くない。

「海外で『日本語教師』としての経験を積む方法がありますよ」などの甘言に乗せられ、また、「滞在費、宿泊費は当方で負担しますよ」などの言辞に乗せられ、片道航空券で海外に送り出されないように注意する必要がある。北朝鮮に日本人が入国しやすいルートは、中国経由である。この中国経由で、かなりの「日本語教師」が北朝鮮に「誘拐」されているのではないかと懸念されるのだ。

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HNKには、日本語をもっと正確に表現してもらいたい!!!

   最近、気になる日本語表現がある。それは、「なので」が会話文の文頭に出現することである。「なので」は、独立した接続助詞ではない。したがって、漫画的な表現は別として、これが、文頭に出てくるのは、正式な日本語ではありえない。

 今朝のNHKテレビを見ていても、「なので」が会話文の文頭にやたらに出てくるのが気になった。これは、ミャンマーの大型サイクロン被害に対する国際社会からの支援受け入れに関するニュース解説の中でである。

 「なので」は、「~なので」とは使われるが、文頭に出て使われる言葉ではない。日本語辞書を調べても、『NHK・日本語発音アクセント辞典(新版)』に当たっても、「だから」や「ゆえに」は出てくるが、「なので」という独立した語彙は出てこない。

いくらニュースキャスターとはいえ(正確な日本語を話すアナウンサーとは違うとはいえ)、国が主導する公共放送で、このブロークン・ジャパニーズ(壊れた日本語)が頻出するのはいかがなものであろうか。

 この「なので」が口語の文頭に使われるようになった背景には、中学校・高校で学習する数学の証明問題の解答の仕方があるという。証明問題の解答は、理由をつらつらと述べて、「なので」と書いて結論を表現するという。

したがって、「なので」が会話文の文頭に使われ出したのは、「なので」が独立した語彙であるかのように、数学の証明問題の解答の仕方に使われ出した以降であるらしい。これは、日本語教育学の研究を続け、ボランティアの日本語教師をしながら、中学生、高校生を対象とする学習塾を経営している友人から聞いた。

 この事実は、日本の国語教育は、国語ばかりではなく、理科や社会、数学をも含めた、体系的な言語規則の統一のもとに行われなければならないことを示している。

 それにしても、日本の公共放送を代表するNHKである。日本語に変な流行的表現を蔓延させる元凶をなすべきではない。また、一部で使われている表現を頻出させて、これを日本語表現に固着させるべきではない。日本語表現にはもっと丁寧で、正確な取り扱いをしてもらいたいものである。

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ジェンダーと区別――生来の性差

  男女の恋の指南書としても、お薦めしたい一冊がある。セックスについては、電車の中で隣の人に読まれたら恥ずかしいと思えるようなことも、科学的に堂々と書かれている。かつてベストセラーにもなったアラン・ピーズとバーバラ・ピーズの夫婦共著による後記(1)の本、『話をきかない男、地図が読めない女』であるが、改めてここにお薦めしたい。サブタイトルに「男脳・女脳が『謎』を解く」とある。この本は、男女の違いの現実をよく観察し、それらを科学的見地から分析して、巧みに表現している。「恋に落ちる」メカニズムや、「幸福な生活のためには――女に地図や市街図を読ませてはいけない」ことなども書かれていて、たいへん面白い。

  この本を読めば、男女間において、ジェンダーの違いを認識し、それ相応の区別がなされる必要性を強く意識することになるであろう。男勝(まさ)りの女性も多くなったが、女性は女性としてのジェンダーを主張したほうが、より賢明であることがこの本の内容から推認される。もちろん、主張の相手方は男性側である。

  なお、「区別」とは「差別」ではない。ここで言う「区別」とは、客観的科学的データに基づき、社会的に認知された「区別」である。

 また、この本を読んで、男女の違いを頭にたたき込んでおけば、男女間のいさかいが多少なりとも減少し、多くの破局が未然に防げるかもしれない。――― ただし、これは、Akkiiの希望的観測かもしれないが・・・。

 次に、渡部昇一先生の著作である後記(2)の本、『世界に誇れる日本人』も一読することをお勧めしたい。その第二章には、「――世界に影響を与えた『源氏物語』の作者」と表現されて、紫式部が取り上げられ、その中には、「男も女も一緒に文学を作った上級サロン」の項の中で「要するに神様といえども男女相補性をもち、男女同権とはいわないまでも、男女共同参画のようなことを神話の上でやっているのである」(同書P.50)と述べられている。また、日本の平安時代中期(学説によると初出は1001年)に、『源氏物語』という世界で最古の大小説が、女性作家によって著述されたことが賛嘆されている。

(1)アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ共著 『話をきかない男、地図が読めない女――男脳・女脳が「謎」を解く――)』、藤井留美・訳、文庫版¥667(税別)、主婦の友社、2002年

(2)渡部昇一著 『世界に誇れる日本人』、PHP文庫、¥533(税別)、PHP研究所、2007年

  前記(1)と(2)の書籍は、共に文庫本であり、廉価であるが、学術書として、十分に参考文献たり得る中身の濃い本である。日ごろ携行しているバックの片隅にでも入れて、暇のあるときに一読することをお勧めしたい。特に(1)は、恋愛の指南書としても、また、夫婦円満生活の手引きとしても、活用したい一冊である。

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ドツボにハマる就職活動

WEB検索で「日本語教師 就職活動」と入れて調べてみて驚いた。日本語教師養成講座の案内や広告が目白押しだからである。なぜ、これほどまでに日本語教師養成講座が増えたのであろうか。その原因は、日本のイミグレーション・ポリシーが変更されたことにある。日本語教師としての正職員の求人募集がほとんどなく、就職活動が困難であると嘆いている日本語教師志望者が多い中で、不思議な現象なのでそれを探ってみた。

それは、今から約4年前、出入国を管理する法務省が、日本に就学生ビザ (※留学生ビザではない。就学生ビザとは、日本語学習などを希望する外国人のために設けられたビザである)で入国できた外国人の就学生としての要件を厳格にして、その入国にブレーキをかける方針を採ったからである。

これは、当時、山形県酒田市にあった酒田短期大学の問題(※Web検索で「酒田短期大学」として調べてみることをお勧めする)で明らかになったように、留学生ビザや就学生ビザで入国した外国人の多くが、不法就労目的で入国していることが分かったことによる。酒田短期大学では、外国人学生のほとんどが、日本入国後に学校からいなくなってしまっていたのだ。ほとんどの外国人学生が関東圏に出て、不法就労していたのである。そのうえ、留学生ビザや就学生ビザで日本に入国した外国人による凶悪な犯罪―――特に記憶に鮮明なところでは、中国人元就学生グループによる博多の一家4人皆殺し事件 (※犯行は残忍なもので、殺された一家4人の死体を、証拠隠滅のため、博多港に重石を付けて沈めていた)―――や、中国人ピッキング・グループによる侵入窃盗事件などが多発し、政府の安易な出入国管理体制に世論の痛烈な批判を浴びることになった。

そこで、法務省は、その就学生ビザに厳格な取得要件を課すことになったのである。その結果、それまで就学生としてやってきていた外国人の日本語学習者の数が激減し、全国で倒産する日本語学校が相次いだ。日本語学校といっても、その多くは、文部科学省が所管する学校教育法上の学校ではなく、株式会社が開設していた学校である。これは、先般、倒産したNOVAと同様である。株式会社とは商法上の法人であり、利益追求を第一義とする。

現在、外国人のための日本語学校や日本語教師養成講座を開設している学校の多くが、この株式会社方式である。したがって、これらの会社の学校で学習していた受講生や働いていた先生方は、会社が倒産した後は、支払済みの入学金や学費や、不払いの労務報酬などで甚大な損害を被っても、その被害の救済は、ほぼ泣き寝入り状態である。

そして、外国人の日本語学習者が減って、多くの日本語学校が立ち行かなくなったのを穴埋めするために、各日本語学校が力を入れ始めたのが、日本語教師養成講座420時間コース(多くの日本語教師養成学校では、受講資格は4年生大学卒、または、それと同等以上の学力を有することと定めている。これは、日本語教師には、それだけの能力を要求されるからである)の開設というわけである。それが今、WEB検索でヒットする日本語教師養成講座が多いことの理由である。そこでは、外国人に日本語を教えたいという希望と期待に満ちた人たちに、日本語教師になれますよ、ということで募集しているのである。

420時間という時間は、大変な時間である。これを受講し続けて、その費用を負担し続けることには、莫大なエネルギーと時間、入学金や受講料や交通費などの膨大なお金がかかる。そして、これに入り込み、それにエネルギーと費用をかけると、そこから抜け出せないドツボにハマるのである。それは、せっかく日本語教師としての資格を取ったのだからということで、それを生かして就職しようと努力することで、なおさら深まる。

ところが、ただでさえ、外国からの就学生、すなわち外国人の日本語学習者が激減しているのに、日本語教師として働く場所がそう簡単にあるわけがない。多くの日本語学校は、外国人学習者が減ったために、代わりに日本人をターゲットにして、日本語教師養成講座を設け、学校を開設しているのである。ここには、日本語教師の求人募集に応募し、パートタイマーの日本語教師として、または、日雇い派遣労働者の日本語教師として、ワーキングプアを地で行くしかないことになる恐れがある。賢い人であれは、この構図は自ずとわかるであろう。

最後に、420時間の受講と費用を費用対効果で自ら考えて欲しい。多くの人にとって、日本語教師に費用をかけて情熱を傾けるより、PCの技能を習得することや、秘書検定や社会福祉関係の資格などを取ることにチャレンジするとか、または、TOEICや英検などにチャレンジして、それらにエネルギーを注いだほうが、就職活動により有用性があり、社会のために、より有益にその能力や情熱を役立てることができるのではないだろうか。ボランティアとしての日本語教師になろうという人なら、別であろうが・・・。

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