カテゴリー「心と体」の記事

宿主と病原体

 犬や猫などのペットを飼っていると、イヌノミやネコノミなどが人に噛み付くことがある。これらのノミは、人を宿主として生存することはないが、一時的には人間が血を吸われ、かゆみに襲われる。蚤取粉などでペットノミの駆除を行う所以(ゆえん)である。

 これらの愛玩動物を飼育していた人なら知っていることだろうが、ヒトノミに比べて、犬にたかるノミは大きく柔らかいという特徴があり、また、猫にたかるノミは小さくて固いという特徴がある。

 ところで、鳥インフルエンザや豚インフルエンザのウィルスは、もともとは人から人への感染力がない病原体であった。ところが、これが変異し、人に感染した後、それが人から人への感染を繰り返すという風に、宿主を人に移し、生きながらえ、増殖するように変異してしまう。こうなるとこれらの病原体の感染力が脅威となる。

 幸いにも、昨年から今年にかけて大発生した新型豚インフルエンザのウィルスは、感染力が比較的弱く、毒性も弱かったために、全体的に見れば、季節性インフルエンザに比較し、パンデミックの健康被害はそれ程でもなかった。

 ところが、宮崎県でモッツアラ・チーズ生産用に飼育していた水牛が発生源であったとされる動物の伝染病、口蹄疫(こうていえき)のウィルスは、感染力が強く、大量の牛や豚に感染し、宮崎県ではまさにパンデミックの様相である。

 この口蹄疫のウィルスは、人間を宿主としてのヒトヒト感染は起こり得ない。しかし、一般にウィルスは、人を宿主としないウィルスでも、人が濃厚にそれに曝露すれば、一時的に人間を宿主とすることがある。人に感染し、毒性を発揮することがあるのだ。これは、ウィルス学としての常識のようだ。現在、南国の東南アジアで流行している新型鳥インフルエンザの患者は、このインフルエンザに感染している家禽類に、暮らしの中で濃厚に接触していた人に多いという。

 過去にある農村で、牛が病気を発症したため殺処分して埋葬したところ、夜陰に乗じてこの牛を掘り出して食べた住人数人が、口蹄疫同様の症状を呈したことがあった。つまり、このウィルスに濃厚に接触すれば、人間にも感染する危険性があるということである。

 口蹄疫に感染した牛や豚などばかりでなく、感染する惧れがある牛や豚なども、ワクチン接種後に殺処分して廃棄するというのは、そういうことなのだ。これを食料に供してはならないのだ。最新のニュースでは、殺処分が予定されている牛と豚の頭数は、32万頭以上にも及ぶという。実にもったいない話ではあるが・・・。

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多忙な民主党とメンタルヘルスケア

  民主党は、衆議院選挙で国民の期待を背負って308議席を獲得し、次期政権を担うことに決定した。自民党は119議席に激減し、与党であった自公政権は下野することになった。これを受けて、与党になる民主党の主要メンバーは、毎日多忙を極めている。

特に民主党代表や代表代行、その他の役員の皆さんは超忙しいことだろう。テレビのニュース番組を見ても、政治トークに毎日のように分刻みで出演している主要メンバーもいるほどだ。各自の事務所などへは、官僚側や企業側などからの訪問や働きかけも相次いでいると言う。

ここで心配なことがある。それはマニフェストの実行性はどうであろうかと言うものではなく、鳩山由紀夫代表や小沢一郎代表代行や菅直人代表代行、岡田克也幹事長などなどの主要メンバーや、それを取り巻くスタッフの健康管理は大丈夫だろうかと言うことである。

人は、長時間に渡って多忙を極めると肉体と精神にダメージを受けやすい。ここでは、特に体調管理とメンタルヘルスケアが大事になるのだ。これは健康で精神状態が安定していないと、行動力や思考力、判断力に悪い影響が出ることがあるからである。

この対策としては、本人達から離れた立場で、健康管理を行い、体調管理からメンタルヘルスケアまで面倒を見てくれる、専門のスタッフを沢山揃える必要がある。これには専門的知見が必要なのだ。つまり専門家が必要なのである。

この健康管理は、当人の家族や秘書などに任せているだけではダメである。専門的立場からのアドバイスとサポートが必要である。休暇の管理も必要であろう。昨今は、アスリートばかりではなく、一般のスポーツ選手にも、医師や栄養士やトレーナー、マッサージ師などが付いて、健康管理をする時代だ。アマチュアのサッカーチームや野球チームにも、チームドクターがいるほどだ。

民主党には、医師を中心とした比較的規模の大きい健康管理チームを立ち上げるべきだ。民主党が責任ある政権与党として、しっかり行動するには、初動の今が特に重要である。民主党の役員やスタッフの皆さんには、専門家のアドバイスを受けながら、特に体調に留意して、メンタルヘルスケアを行い、持続的発展を遂げながら頑張って頂きたい。それが、実行力のある、ぶれない政党を作る要諦でもあるからである。

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ゆるキャラに熱中し、熱中症!?

各地でご当地ゆるキャラのデビューが相次いでいる。このゆるキャラの着ぐるみでパフォーマンスに熱中すると、熱中症になるので注意を要する。ゆるキャラの着ぐるみで、現に熱中症に罹る事故が起きている。着ぐるみの中は、外気温よりはるかに高くなる。それでなくても気温が高い夏である。ご用心、ご用心。

熱中症とは、熱中するとなりやすい急性症状である。しかし、この「熱中症」と「熱中する」の「熱中」は、漢字は同一でも、語源が違う。

熱中症は、長時間、直射日光に体がさらされるとなりやすいが、屋内や日陰でも罹る。これに罹ると、血液の循環障害を招き、体温が異常に上昇し、鼓動が早くなったりする。頭痛やめまいを呈し、意識が朦朧とし、気を失うこともある。生命に危険を及ぼす重篤な症状である。

熱中症は、現在では4類型に分類できる。そのうち、体温が上昇する熱中症に罹った場合には、水分や塩分を補給し、体を冷やすことが先決である。体を冷やすのには、内側から冷たい飲み物で冷やし、外側からは、水で冷やすなどして、体温を下げることが必要である。木陰で休ませることや、風を送って体を冷ますなども大事なことであるが、まずは、体を効果的、確実に冷やし、体温を平温にする方法をとることが肝要である。

熱中症は予防の対策が重要である。こまめに水分や塩分を摂取し、体温を上昇させない工夫をする。ゆるキャラの着ぐるみには、電動ファンを付けたものも出てきた。サウナ風呂の後の水風呂は、人類の英知である。北欧のフィンランドでは、サウナ風呂で熱くした体をすぐに水浴で冷やせるように、サウナ小屋が岸辺に建てられていた。

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ジェンダーと区別――生来の性差

  男女の恋の指南書としても、お薦めしたい一冊がある。セックスについては、電車の中で隣の人に読まれたら恥ずかしいと思えるようなことも、科学的に堂々と書かれている。かつてベストセラーにもなったアラン・ピーズとバーバラ・ピーズの夫婦共著による後記(1)の本、『話をきかない男、地図が読めない女』であるが、改めてここにお薦めしたい。サブタイトルに「男脳・女脳が『謎』を解く」とある。この本は、男女の違いの現実をよく観察し、それらを科学的見地から分析して、巧みに表現している。「恋に落ちる」メカニズムや、「幸福な生活のためには――女に地図や市街図を読ませてはいけない」ことなども書かれていて、たいへん面白い。

  この本を読めば、男女間において、ジェンダーの違いを認識し、それ相応の区別がなされる必要性を強く意識することになるであろう。男勝(まさ)りの女性も多くなったが、女性は女性としてのジェンダーを主張したほうが、より賢明であることがこの本の内容から推認される。もちろん、主張の相手方は男性側である。

  なお、「区別」とは「差別」ではない。ここで言う「区別」とは、客観的科学的データに基づき、社会的に認知された「区別」である。

 また、この本を読んで、男女の違いを頭にたたき込んでおけば、男女間のいさかいが多少なりとも減少し、多くの破局が未然に防げるかもしれない。――― ただし、これは、Akkiiの希望的観測かもしれないが・・・。

 次に、渡部昇一先生の著作である後記(2)の本、『世界に誇れる日本人』も一読することをお勧めしたい。その第二章には、「――世界に影響を与えた『源氏物語』の作者」と表現されて、紫式部が取り上げられ、その中には、「男も女も一緒に文学を作った上級サロン」の項の中で「要するに神様といえども男女相補性をもち、男女同権とはいわないまでも、男女共同参画のようなことを神話の上でやっているのである」(同書P.50)と述べられている。また、日本の平安時代中期(学説によると初出は1001年)に、『源氏物語』という世界で最古の大小説が、女性作家によって著述されたことが賛嘆されている。

(1)アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ共著 『話をきかない男、地図が読めない女――男脳・女脳が「謎」を解く――)』、藤井留美・訳、文庫版¥667(税別)、主婦の友社、2002年

(2)渡部昇一著 『世界に誇れる日本人』、PHP文庫、¥533(税別)、PHP研究所、2007年

  前記(1)と(2)の書籍は、共に文庫本であり、廉価であるが、学術書として、十分に参考文献たり得る中身の濃い本である。日ごろ携行しているバックの片隅にでも入れて、暇のあるときに一読することをお勧めしたい。特に(1)は、恋愛の指南書としても、また、夫婦円満生活の手引きとしても、活用したい一冊である。

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「早春物」の「梅春物」と「愛食家」

「早春物」は「ソウシュンモノ」と読む。これに釣られて、「梅春物」を「バイシュンモノ」と読むと「売春」を連想し、下ねたの深みに嵌り(ハマリ)そうである。ただし、これは「ウメハルモノ」と読む。この「梅春物」は、ファッション業界や繊維業界、服飾関係の小売業界などでは、よく使われる言葉である。「春物」よりも先に出回る「早春物」を指す。いわば業界用語である。この「梅春物」は、一般的な日本語の辞書には出てこない。 

一般的な日本語の辞書には出てこない言葉で「春夏物」や「秋冬物」がある。これは、普通に家庭での衣替えや小売業界での広告にもよく使われる「一般的な言葉」であり、業界用語や専門用語ではない。これが普通の日本語の辞書に載っていないのは不思議であった。 

また、日本語の辞書に載っていないが、一般的によく使われる言葉としては、「愛食」や「愛食家」というものもある。「愛」が付く言葉は、「愛飲」、「愛煙」、「愛犬」、「愛猫」、「愛妻」などがあり、これに「家」を付けると、その行為や物、人を愛する人という意味になる(ただし、「愛読」という言葉があるが、これには後ろに「者」を付けるのが一般的である。これは、一般的に使われる「購読者」という言葉に引っ張られて、「者」となっているようである。また、「愛車」や「愛人」、「愛妾」という言葉もあるが、後ろに「家」や「者」を付けることはない。しかし、「愛妾」という言葉については、「愛妻家」という言葉があるのであるから「愛妾家」という表現があってもおかしくはないかも知れない。Akkiiも、この「愛妾家」にはあやかりたいものである)。これらは辞書に当たればその語彙(ゴイ)が出てくるので、その意味が分かる。しかし、「愛食」、「愛食家」は、辞書にはない。 

余談だが、Akkiiは、「スキヤキソング」を「愛唱」している。「上をむ~いて、歩こぉ~よ」のあれである。これは、ニュージーランドのミルフォード・トラック約54キロを完歩したときに、いろいろな国から参加していてこのトレッキングコースを歩き、その完歩お祝い会に出席していた外国人の前で唄った歌である。外国人は、日本の歌として「さくら」や別名「スキヤキソング」として有名な「上を向いて歩こう」をよく知っている。この2つの歌は、日本の代表的な歌であると、ステレオタイプ的に認識している外国人が多いのだ。これから国際交流に打って出ようとする人には、ぜひこの2つの歌を歌詞ビラなしで唄えるようにしておくことをお勧めする。因みに(チナミニ)、「愛唱」は「愛妾」と同じ発音で同じ日本語アクセントである。「愛唱歌」とするとAkkiiがあやかりたいと思っている「愛妾家」とそれらは同じになる。また、「約54キロを完歩した」にある「完歩」という言葉は、日本語辞書にはない。しかし、トレッキングやハイキングの雑誌などにはよく出てくる言葉である。マラソンは「完走」であるが、ハイキングやトレッキングは、「歩く」ことが主目的なのであるから、これを「完走」とするのはイメージ的にあわない。やはりここは、「完歩」という言葉がふさわしい。 

余談が長くなってしまった。本題に戻ろう。 

囲碁愛好家やテニス愛好家、登山愛好家と表現するのには何ら抵抗がないが、ラーメン愛好家やフランス料理愛好家とするのには抵抗がある。これは、「飲む」動作に「ビールを愛飲する」や、「ワイン愛飲家」という表現があるのであるから、「食べ」る動作に「愛食」、「愛食家」があってもおかしくはないし、むしろ、そうあるべきであると思われることからくる、抵抗である。また、「日本そば愛好家」、「ラーメン愛好家」では、「そば打ち」や「ラーメン作り」を愛好する人を連想するので、やはり「食べることが好き」な場合は、「愛食」、「愛食家」とするほうがしっくりいくように思われる。 

ところで、標題の「早春物」であるが、広辞苑に当たると「早春」とは「春のはじめ」の意味である。この「春」には、「思春期」という言葉があるとおり、「人生の春」を意味する場合がある。したがって、「早春」とすると「思春期」前の、幼い愛の気持ちが芽生えたころあいを指すことがある。「淡い初恋」が芽生えたころである。そして、これに「物」を付けた「早春物」とすると、そのころの情感を題材にした物語や小説を指すことがある。ただし、この「早春物」、大人になってからの「愛読者」は、ロリコン(ロリータ・コンプレックス)に陥らないように注意が必要である。

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危ない関係の危ない説明

日本語の「と」は、スペイン語の ”y” と同じですか、とスペイン語を母語とする外国人学習者のCちゃんから尋ねられた。akkiiは言った。そうねェ、「犬と猫」と言った場合の「と」は、英語の “and” と同じだから、スペイン語の ”y” と同じね、と。知識のあるところを披露したのだが、続けて、「父と散歩します」という場合の「と」は、英語の ”with” と同じだから、スペイン語では、なんて言ったっケ? と、ど忘れしたのでボケた。すると、Cちゃん、それは ”con”と同じです。“con mi padore” です、という。これは、スペイン語の勉強になった。

さらに、Cちゃん、「犬と猫」の「と」と「犬や猫」の「や」は、同じですよネェ、と聞く。ここで akkii は、はたと困った。”cantar y bailar” 、これは普通、「歌ったり、踊ったり」と訳されている。とすると、スペイン語の ”y” は、この場合、日本語の「や」と同じような意味を含むことがあるのでは、と少ない知識の中で考えたからだ。そこでCちゃんに、スペイン語談義の中でそのことを確認し、スペイン語の "y" は、日本語の「や」の意味も含んでいるとなると、「と」と同じとはいえないわネェ、と前言を訂正した。

次に、本論の「と」と「や」の違いについてである。「犬と猫」や「犬や猫」では存在が遠いので、ごく近くの「あなたと私」で考えてみた。「あなたと私」と「あなたや私」とでは、だいぶ違う。これは「と」と「や」の一字違いだけである。たとえば、「あなたと私は愛し合っている」とした場合と、「あなたや私は愛し合っている」とした場合とでは、この二つの文のニュアンスは、大きく違っている。日ごろ日本語を話している私たちは、このニュアンスの違いを知っている。ところが、このニュアンスの違いを外国人の学習者に教えるのは、容易ではないのだ。

「と」と「や」の違いを際立たせようとして、せっかく考え出した例文もまずかった。

このことも災いして、Cちゃんには、危ない関係の危ない説明をすることになってしまった。二人だけで愛し合っているのと、二人のほかにもっと人がいて、お互いに愛し合っているのが・・・???

私たちが、なにげなく使っている「日本語」も、これを非母語話者に教えるのは、本当に難しい。

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