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バリ島のジゴロのドキュメンタリー映画

ジゴロのドキュメンタリー映画の一部が、動画投稿サイトのユーチューブにアップされている。インドネシアのバリ島での、外国人女性を狙ったジゴロといわれる男達の生き様と彼らと肉体関係を持つ外国人旅行客女性についての映画のようだ。シンガポール在住の映画監督が、このジゴロの実態を現地で取材し、ドキュメンタリー映画として制作した。

 バリ島では、外国人女性を狙ったジゴロが多いというのだ。ジゴロたちは、海外旅行でバリ島を訪れた女性達に優しく、時には激しくつきまとい、いつの間にか肉体関係を持つらしい。そこには巧みな装置が仕組まれているらしい。そして、性的関係が深まると経済的に依存し、女性に貢(みつ)がせて生活する男達が多いというのだ。つまりジゴロだ。

 この実態を現地で取材し、映像化したのが、この映画だ。タイトルは、"Cowboys in Paradise" だ。海外旅行客の白人女性たちとキスしているシーンなどが映像にある。このジゴロたちが特に好むターゲットは、日本人女性だという。性的関係を持ち、生活費の面倒をみてもらって生活しているジゴロが多いというのだ。この映画については、5月2日の毎日新聞朝刊にも記事が掲載されている。

 この映画制作に対し、インドネシアの地元州政府はカンカンであるという。無許可で取材し、映像化したからだという。インドネシアにとって観光は主要産業の一つだ。この映画は観光産業にダメージを与えるのは確かだ。しかし、事実は事実である。

 同政府は、これらの事実を隠蔽することなく、性犯罪を取り締まり、治安の回復やイメージの回復に努めるのが、筋であろう。取材内容を否定したり、隠蔽したりするのは、筋違いである。

 以前は治安が良いとされ、地上の楽園と宣伝されていたバリ島で、昨年、邦人女性に対する半裸殺人事件や全裸殺人事件が相次ぎ、治安が極めて悪いことが発覚した。メディアでは報道されていない強姦や薬物犯罪、強盗などの外国人旅行者の被害が多いということが分かったのだ。

日本人女性たちが複数人で、深夜のディスコやナイトクラブに出かけていても、飲み物や食べ物に睡眠薬などの薬物を仕組まれ、意識のない状態や抵抗ができない状態で、性暴力被害や強盗被害に遭っているということも報じられている。つまり、バリ島は、女性が複数で行動していても、性的被害などに遭う危険な観光地なのだ。この状況は、すぐには改善しないであろう。

海外旅行を楽しむ若い女性達に、海外旅行先で性的被害などに遭うことにより、その後の人生を狂わせるような契機を作らせるべきではない。これらの事実は、日本政府や日本の観光会社は、日本人の海外旅行者に的確に情報を伝え、注意喚起すべきである。

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HNKには、日本語をもっと正確に表現してもらいたい!!!

   最近、気になる日本語表現がある。それは、「なので」が会話文の文頭に出現することである。「なので」は、独立した接続助詞ではない。したがって、漫画的な表現は別として、これが、文頭に出てくるのは、正式な日本語ではありえない。

 今朝のNHKテレビを見ていても、「なので」が会話文の文頭にやたらに出てくるのが気になった。これは、ミャンマーの大型サイクロン被害に対する国際社会からの支援受け入れに関するニュース解説の中でである。

 「なので」は、「~なので」とは使われるが、文頭に出て使われる言葉ではない。日本語辞書を調べても、『NHK・日本語発音アクセント辞典(新版)』に当たっても、「だから」や「ゆえに」は出てくるが、「なので」という独立した語彙は出てこない。

いくらニュースキャスターとはいえ(正確な日本語を話すアナウンサーとは違うとはいえ)、国が主導する公共放送で、このブロークン・ジャパニーズ(壊れた日本語)が頻出するのはいかがなものであろうか。

 この「なので」が口語の文頭に使われるようになった背景には、中学校・高校で学習する数学の証明問題の解答の仕方があるという。証明問題の解答は、理由をつらつらと述べて、「なので」と書いて結論を表現するという。

したがって、「なので」が会話文の文頭に使われ出したのは、「なので」が独立した語彙であるかのように、数学の証明問題の解答の仕方に使われ出した以降であるらしい。これは、日本語教育学の研究を続け、ボランティアの日本語教師をしながら、中学生、高校生を対象とする学習塾を経営している友人から聞いた。

 この事実は、日本の国語教育は、国語ばかりではなく、理科や社会、数学をも含めた、体系的な言語規則の統一のもとに行われなければならないことを示している。

 それにしても、日本の公共放送を代表するNHKである。日本語に変な流行的表現を蔓延させる元凶をなすべきではない。また、一部で使われている表現を頻出させて、これを日本語表現に固着させるべきではない。日本語表現にはもっと丁寧で、正確な取り扱いをしてもらいたいものである。

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